2015.9.8

「大阪取引所」と「大阪企業家ミュージアム」を視察しました! 【金融キャリア・パッケージ活動報告】

「大阪取引所」と「大阪企業家ミュージアム」を視察しました!【金融キャリア・パッケージ活動報告】

 2015年8月7日(金)、金融キャリア・パッケージに所属する3つのゼミの学生(2年生中心)は、キャンパスを出て学外での視察研修を実施、大阪市内の2か所の施設を訪問、視察しました。日頃、『金融』を中心テーマに学んでいますが(2年生はまだ6か月ですが)、教室の中だけでは実感が伴わないことも多いのです。
 当日は、『金融』の現場である『取引所』と、『大阪・関西』に脈々と流れる『企業家精神』を実際に視察・体験することで、皆さんにとって、経済・金融だけではなく、自分の将来についても考えるいい機会となったと思います。

1 大阪取引所(旧大阪証券取引所)

 大阪証券取引所(大証)は、第二次世界大戦後の1949(昭和24)年4月に設立されましたが、その前身は1878(明治11)年に設立された「大阪株式取引所」です。また、その源流といえるのは、17世紀から18世紀にかけて経済の中心地「大坂」に誕生した「堂島米会所」です。当初は米穀の現物取引から始まり、後には当時の「コメ」が貨幣代替物であったことから、金融商品としての「先物取引(デリバティブ)」が中心となりました。「堂島米会所」は世界で初めての整備された先物取引所といわれています。
 当日の視察では、30分程度の施設内見学に加え、取引所の上場推進部課長 岡野 豊氏による特別講義を受けました。テーマは証券取引所の歴史・機能・現状、日本取引所グループの説明、株式上場(IPO)と現況などです。
 2013年1月、グローバル化への対応から大証と東京証券取引所(東証)が経営統合して、株式会社日本取引所グループが発足しました。両取引所とも現物市場と先物市場を運営していましたが、現物は東証(同年7月統合)、先物等は大証(2014年3月統合)に集約されました。歴史的経緯から、もともと東証は現物中心、大証は先物中心であったものをそれぞれの得意分野に特化する戦略です。更に、大証は2014年4月に社名変更(証券の文字をなくしてあらゆる金融取引を行う「大阪取引所」に変更)しており、今後の発展が期待されるところです。

2 大阪企業家ミュージアム

 「大阪企業家ミュージアム」は、2001年6月に大阪商工会議所創立120周年記念事業として開設されたものです。主に明治以降に、大阪で起業したり、大阪の経済界や事業成功に貢献が大きい105名の優れた企業家の足跡などを展示しています。大阪は、江戸時代から商業・経済のまちとして『公』に頼ることなく、『民』の活力を最大限発揮して発展を遂げてきました。企業家たちは自立自助の気概あふれる街で、時代の変化と社会のニーズを巧みに取り込み、チャレンジ精神をもってイノベーションを続け、社会や街づくりを担ってきたのです。
 当日の視察では、ビデオの鑑賞とベテランガイドの方々に展示物の案内とエピソードをお聞きしました。金融は、企業や事業と密接な関係があります。企業家たちの高い志、勇気、英知に触れることが、将来を考えるうえで貴重な体験になると期待されます。

(参考:「大阪企業家ミュージアム」HP)

参加学生の感想(抜粋)

・この度の視察研修に参加し、大変貴重な経験となりました。もっとも感じたのが企業家たちの独創性の豊かさです。彼らは他人のやりえないことを一早く察知し、それを現実の形へと変えていました。言葉で言うのは簡単だが常人では成しえないことです。そして、彼らはそのほとんどが苦難を経験していました。安定を求めるのではなく、自身の内にある志のもとに挑戦しつづけることで自らを苦しめ、その結果、今があるのです。企業家たちのこと績や名言から自己成長へのヒントを得ることができました。

・今回の視察研修は私にとってとても得るものが多い活動だったと思います。大阪取引所の構造にとても驚き、今もそのままの形で中身だけ高速システム化している所は歴史的遺構を残そうという当時の人々の想いが窺えました。そして大阪株式取引所を設立した五代友厚公の思想も当時は革新的だった事なのだと思います。大阪取引所での詳しい説明とわかりやすい講義は、どれも印象的で興味深い言葉が多く、とても刺激的でした。IPO、株式、デリバティブ、先物、オプション、ハンドサイン、また、江戸時代の米価の伝達手段などを描いた史料はとても面白いと感じました。史料展示室の史料や説明が書かれたパネルもとても分かりやすかったです。投資の疑似体験が出来るゲームは将来投資してみたいと考えている私にとってはまるでゲームのような感覚で投資が出来、投資するということがより身近に感じました。東証の方の講義では、上場について詳しく説明され、あまり知らなかった上場の世界を知り、また上場するとどんなメリットがあるかを知り、将来会社を立ち上げることは恐らく無いとは思いますが、もし会社を立ち上げ、上場したらと想像を働かせていました。
企業家ミュージアムでの講義もとても面白く、私の将来にとても有用なお話を聴く事が出来たと思います。江崎利一さんのお話はとても驚きました。皆が絶対にやらないようなことを考えつくという頭脳を私も欲しいものです。その後の見学では様々な分野の企業家達の説明を聴き、彼らの偉業に私は感心するばかりでした。あまり時間が無かったので今度は一人でまたあの場所へ見学に行きたいと思います。私の将来の目標は漠然としていてまだ不確定ですが、今回の見学は私の将来の方向性を決めてくれたと思います。

・大阪取引所は大阪金融の中心地「北浜」にあります。取引所のスタッフから大阪取引所の歴史、五代友厚像などを紹介していただきました。また、OSEギャラリーで取引所の役割、IPO、上場会社などについて、レクチャーを受けました。その内容は、大学で学んだ金融の専門知識と強く関連していると感じました。併せて、大阪株式取引所開業免状、げきたく、株券などの展示史料を見て、とても面白いと思いました。
大阪企業家ミュージアムでは、企業家たちの事績や年表をまとめた資料を閲覧し、スタッフからとても面白い解説を受けました。一番印象に残った企業家は、日清食品株式会社の安藤百福さんで、彼の創造力、チャレンジ精神、仕事に対する情熱に敬服するばかりです。今回の見学は、本当に良い経験になりました。

・大阪取引所では、企業が上場するまでには様々な審査が必要であることや近年に上場した会社のことなどについて学びました。投資についても少し学び、「決算書を読めるようになると企業の本質がわかり投資をするうえで役に立つ」と上場推進部の方が言っていました。私は投資に興味があり、いつかやってみたいと考えているので決算書を読めるように勉強しようと思いました。
大阪企業家ミュージアムでは、初めに江崎グリコの江崎利一さんについて学びました。そのあとに様々な企業家の事績などについて学びました。説明を聞いて、成功している企業家は行動力がある人が多いと感じました。例えば、建設会社で有名な大林組の大林芳五郎さん誰もがやりたがらない仕事を引き受けてそれに成功し、のちにその行動力から信頼を得ています。江崎グリコの江崎利一さんも自分の考えたことを行動に移して成功しています。他の方も同じく行動力に長けていると感じました。
今回の研修では証券や有名な会社を作り上げた企業家たちについて学び、その中で金融については、まだまだ知らないことが多いから勉強が必要だと考えさせられ、また、起業についても興味が湧きました。

・私は大阪取引所に初めて行きました。今まで、取引所とは証券などを取引している場所というイメージしか無かったです。今回の見学で、大阪取引所はJPX(日本取引所グループ)に所属しており、その中で役割を分けていることを初めて知りました。大阪取引所は主にデリバティブ市場で取引を行っているそうです。
上場推進部の方の話を聞いて私はすごく興味がわきました。上場とは何か?上場するとどんなメリットがあるのか?色々疑問が出てきました。まず、証券市場で株式が売買されるようになることを上場といい、会社が上場すると資金が集めやすくなり会社の設備投資や新規事業などにお金を使うことが出来ます。すると事業が成功すれば利益を上げることができ会社の評価もあがりまた資金が集めやすくなります。しかし、今の日本には上場している会社が全体の0.2%しかないです。そのため、今の日本には上場企業と呼べる企業はまだ少ないです。
大阪企業家ミュージアムでは、明治から現在に至るまでの企業家達の資料が展示されました。まず初めに企業家精神についてスタッフからお話を聞きました。「志」が中心にあり、その周りに「変化」「先見性」「挑戦」「創意工夫」「自立自助」「意志」があるという企業家精神のグラフがとても印象に残りました。グリコの創業者江崎利一さんは「もったいない」という「意志」から本来なら捨てていたものを「創意工夫」で商品として売り上げたことも印象的でした。この他に、心に残っている言葉があります。それは「2×2=5」です。私はなるほどと思いました。普通なら2×2=4ですが、それは当たり前のことで、人一倍の努力と工夫をすれば答えが5にも、6にもなります。努力を惜しんではいけないということを学びました。

・昔から証券取引が行われていたこと、取引のときに手の形で売り買いする会社名などを示したことに驚きました。五代友厚らが大阪証券取引所の前身である大阪株式取引所を創立したということで、大阪取引所の前には五代友厚の銅像が置かれていました。次の企業家ミュージアムでは、松下幸之助のような企業家といわれる人達のことについて学びました。ミュージアムの方から企業家について説明を受けました。一つ目は明治時代の紡績業や金融について、二つ目が第二次世界大戦前にかけてのお酒や化粧品について、三つ目が第二次世界大戦後の家電や流通業でした。企業家達がどのようにして起業のきっかけを掴んだのかということがわかり、とても面白かったです。

・今回の課外活動に参加して思ったのは、それぞれに歴史があり、それが現代に続いていることだった。大阪取引所では主に株式やデリバティブ(先物)のことを学び、授業で学んだ内容も出ていてとても分かりやすかった。2013年に東京証券取引所と経営統合をして現在ではデリバティブしか扱っていないが、大阪取引所はとても歴史のある取引所ということが分かった。面白かったのは、昔は電子取引ではなかったのでハンドサインなどで取引をしていたということで、いろんな種類のハンドサインを見ることができた。
大阪企業家ミュージアムには、大阪にゆかりのある企業家が展示されていた。どの人もとても有名な企業家で、現在の大企業と呼ばれる会社を作った人たちが大阪に関係があったとは知らなかった。先人達が築き上げた企業理念が現在の企業に受け継がれていることを実感した。

・大阪取引所には、五代友厚の銅像がありました。五代友厚は大阪経済界の重鎮の一人です。明治期の大阪経済を立て直すために、商工業の組織化や、信用秩序の再構築を図った人物です。続いて大阪で活躍した企業家をテーマとしている大阪企業家ミュージアムに行きました。年代別に3つのブロックに分けられており、第1ブロックは紡績業や金融の発展に尽力した企業家を、第2ブロックは洋酒や化粧品、都市の近代化にあわせて発達した鉄道開発などに携わった企業家を、第3ブロックは家電製品や流通業などで戦後の豊かな社会づくりに貢献した企業家が紹介されていました。ミュージアムの方の話をうかがって、私は個人的に第2ブロックの話がとても興味を持ちました。自分達の生まれるもっと前にあった出来事を知ることができて、勉強になりました。

・大阪取引所で五代友厚の銅像の説明の後、展示資料を見学した。当時の代表者が書いたと思われる契約書のような物がずらりと並べられていて、興味深かった。また職員の方から、取引の際に使われていたハンドサインについて説明を受けた。そのほかにも、上場会社と審査基準の説明があった。各市場で少し基準が違うことに驚いた。
次の大阪企業家ミュージアムでは、ミュージアムの方から大阪の経済を発展させた企業家について話を聴いた。ここでもやはり五代友厚が紹介されていた。「紡績業、鉄道など、今では普通に思えることを一から始めた企業家はすごい」と感じた。また三井住友やカネボウと言った耳にしたことのある会社についても知ることができた。ミュージアムの方は何度も、当時の企業家は海外との競争に負けないという根性があったと強調されていた。自分たちに足りないものがはっきりした気がした。

・大阪取引所で一番印象に残ったことは、一階にあるアトリウムビジョンです。あの大きなパネルに、日経平均株価や、TOPIXなどの表示がされていてテレビで見ているものの、感動しました。あのパネルを見て、日本経済だけでなく、世界は動いているのだと実感しました。また、証券の取引として今はコンピューターでしているが、昔は手のサインでしていたということであり、実際に手サインを披露してもらいました。手サインは、分かるものもあり、非常に興味を持てた。
大阪企業家ミュージアムでは、上山英一郎という男が印象に残った。蚊取り線香を発明した男である。和歌山県出身の英一郎は、みかん畑の息子であったが、福沢諭吉の紹介でアメリカ人から除虫菊の種子をもらう。害虫や疫病で苦しむ人々を救い、農民に種を与えるとともに除虫菊を有力な輸出商品に育て外貨獲得に貢献し、半世紀後には日本が除虫菊の世界総生産量の9割を占めるなどに成長させた。
除虫菊で作られた商品は「蚊取り線香」であり、渦にすることで75?、7.5時間(1時間に10?)もつものを作り上げた。そのヒントは、奥さんが見た蛇の形であり、巻くことによりコンパクトに長時間使うことのできる渦型を思いついたのである。これを世界各国に輸出し世界?1のシェアを果たし、自社名を「金鳥」とした。

・大阪取引所のなかにこういった自由に見学することができるギャラリーがあるということ自体にまず驚いた。展示物のなかの撃柝や札などがあり、昔はこういうものを使って人の手で行われていたことを感じた。また、黒電話やヘッドフォンもあり、現在では小型化され利便性も昔よりはるかに優れたものになっていて、進んでいることも感じることが出来た。JPXが東京証券取引所、大阪取引所、日本取引所自主規制法人、日本証券クリアリング機構から構成されているということも初めて知った。国内では東京証券取引所が圧倒的なシェアを占めており、こんなにも他の証券取引所と差がでていることに驚いた。上場推進部の方の説明では想像していたより少人数で活動していて、人と人との関係性をつくっていくことで上場企業が増えていると思った。また、聞いたことのある有名な会社でもここ何年かの間に上場していたことや、身近では感じることのできない額で価値が上昇していることも驚き、面白いと思った。初めは堅苦しい印象をもっていたが、もっと知りたいと興味がわいてきた。
大阪企業家ミュージアムでは、いつも利用している近鉄日本鉄道の前身である大阪電気軌道、参宮急行電鉄の元社長であり、実質的な創業者である金森又一郎が印象に残った。もちろんこの方だけの力ではないが、今当たり前に利用している電車を完成させてくれてありがとうございます、という気持ちになった。しかし、たくさんの企業家が展示されていたが、時間の都合ですべては説明はされなかったので詳しい話はわからなかった。どの人物も現代では欠かせない、当たり前のものに関わっている人々ばかりで、ただただ凄いと感じて遠い存在のように思った。

・大阪企業家ミュージアムで最も印象に残った人物は五代友厚である。五代友厚は、江戸時代末期から明治時代中期にかけての日本の武士であり、実業家である。薩摩国鹿児島城下町田城ケ丘生まれ大阪経済界の重鎮の一人だ。明治初期、維新変動の波を受け、大阪経済が低迷する。銀主体の商取引の廃止や藩債の整理による富豪や両替商の資産消失が主な原因であった。この事態を打開し大阪経済の復活を願って五代友厚が中心の財界指導者の有志15名が明治11年7月に大阪商法会議所設立の嘆願書を大阪政府に提出。これが今日の大阪商工会議所の礎となる.今日の大阪がこれほどまでに発展したのは間違いなく五代友厚のおかげといえるだろう。

・企業家ミュージアム、は日本の発展に関わってきた人物達の歴史を知ることができる場所になっている。吉本をつくった人、松竹を作った人、蚊取り線香を作った人、会社も絶好調の中飛行機の墜落によってなくなってしまった人、駅に百貨店を提案し作った人、命をかけてトンネルなど難しい仕事ばかりこなした人、家族を亡くしても立ち直って成功を収めた人など様々な人々がおり時間があれば簡単に紹介文のところに書かれているものだけではなく本として置かれていたものを手にとって読んでみたかった。今では100円ショップで簡単に買うことのできる電卓ですら、昔では車を買う価格と同じ値段もしていたのだ。
今の私たちは当然のようにあるものを使っているが、家にしても現在の形に至るまで相当時間が掛かっている、洗濯機がないということすら考えられない。そんな時代になっているのだからたった100年での時代の進化はこの人たちのおかげだろう。酒を入れていた空になった瓶をお金をかけてまで送り返す無駄を瓶自体その地域においたままにし、樽を持ってこさせて入れ直すやり方を思いつく人物。どうすれば安くできるかという質問で私は紙パックと答えてしまったがそれも今の時代だからあるものだと返答をいただいた時は何にも知らないのだなと改めて思い知らされた。
今回の見学によって得られた者は大きかった、大阪取引所については、株取引の方法、五代友厚という人物について、上場するにはどのようなことが大切かということを知ることができ、個人的にもう一度行ってみたいと思った企業家ミュージアムでは、今の日本の基盤となってくれたともいえる人物たちがどのような商品、どのような過去、どのようなやり方をしているかということを知ることができ、もう一度ゆっくりと見て回りたいと思わされる場所だった。

以上
(担当教員:今城、王、京極)