2020.4.21

ニュージーランドの幸福予算(Wellbeing Budget)に見る新しい経済政策の考え方

 Kia ora! 経済学部「国際経済学」担当の梶山です。当ウェブサイトにようこそ。今日は私の最近の研究テーマであるニュージーランドの新しい経済政策と予算についてお話しします。
 ところで、今年に入って、コロナウイルスが世界中で猛威をふるっています。日本とは赤道を挟んで反対側の南半球に位置するニュージーランドでも、2月28日に最初の感染例が見つかり、4月19日現在で累計で1431人が感染(疑いのあるものを含む)し、その内912人が回復、12人が亡くなっています。人口が約500万人で日本の25分の1であることを考慮すると、決して少なくない人数です。感染者が急増し始めた3月中旬から、政府は矢継ぎ早に警戒レベルを引き上げ、3月26日にはレベル4ロックダウンを実施しました。その甲斐あってか、4月6日以降は、新規の感染者数が明らかな減少傾向を示しています。このようなニュージーランド政府の迅速果敢な対コロナ対策が世界の注目と賞賛を集めているのはご存じでしょうか。たとえば、ワシントン・ポスト紙は、「ニュージーランドは、他国が感染症を「抑制」しようとしている中、ニュージーランドは「排除」しようとしている」と描写しています。
 さて、ここからが今日の本題です。ニュージーランドは日本と同じ議院内閣制の民主主義国です。国も地方も議員の任期は3年で、今年は3年に一度の国政選挙の年です。前回2017年の総選挙の結果、9年ぶりに労働党を中心とする連立政権が誕生し、ジャシンダ・アーダーンが37歳の若さで首相に就任しました。
ジャシンダ・アーダーン首相
出典: The Straits Times
 意外に知られていないのですが、ニュージーランドは、世界初の女性参政権をはじめ、義務教育の無償化や8時間労働制、最低賃金制の導入を世界に先駆けて行った国です。そのような大胆な改革を可能にした要因を探求するのはとても興味深いのですが、それは別の機会に譲るとして、現政権の最新の予算(2019年7月~2020年6月)に注目してみましょう。
 アーダーン政権の2回目の予算編成となる2019年度予算は、Wellbeing Budget(幸福予算)と名付けられました。これは、限られた予算を国民の幸福のために使おうというもので、「国民の幸福度によって政策の成否を判定する世界で初めての予算」と言われています。ニュージーランド政府の説明によると、「幸福とは、人々が目的、バランス、意味をもって充実した人生を送ることができるときのことである」と定義しています。実は、この予算のタイトルにもなっている“wellbeing”という言葉にぴったり当てはまる日本語は見当たりません。「福祉」と訳される場合も多いのですが、ここでは、あえて「幸福」という言葉を充てておきます。
 「幸福予算」は、「より多くのニュージーランド人が取り残されることなく、経済成長の恩恵を共有できるように努力すること」を理念としています。アーダーン首相は、国の成功の定義を「財政の健全性だけでなく、天然資源、人々、地域社会の健全性も取り入れたものに拡大する」として、①メンタルヘルス支援、②子供の幸せをサポート、③マオリと南太平洋島嶼国出身者に希望を与える政策、④生産性向上を促進する政策、⑤経済の変革の5つの優先事項に関わる施策を予算化しました。
 その中身を簡単に紹介すると、①では、24歳以下の若者を中心として、すべての国民の精神面での健康のサポート、自殺予防支援、看護師を目指す高校生を増やすことや、ホームレス支援の簡易宿泊所建設予算など、②では、家庭内暴力への対処や、貧困家庭の子供の自立支援など、③では、健康状態の改善、教育・スキル支援、雇用機会の提供や文化・価値観の保護など、④では、デジタル時代のイノベーティブな国家創りのための国民のデジタルスキル取得の促進、スタートアップ起業への3億ドルの基金設立、低炭素社会への移行に必要な技術開発に1億600万ドルの支出など、⑤では、持続可能な経済社会への移行のための10億ドルの鉄道インフラへの投資、気候変動問題に対応するための再生可能エネルギーの研究開発施設の設立などが含まれます。財務省は、生活の質の指標として、所得と消費、雇用などの他に、健康、環境、住宅、文化などを含む16分野61項目を開発しそれに基づいて予算を作成しました。
 この予算のもつ意義としては、国の成功の度合い(=うまくいっているかどうか)を経済成長率という経済の量的拡大の物差しではなく、国民の生活の中身に注目して、生活の質の改善を重視し、経済成長の果実が国民すべてにゆきわたる政策へと重点をシフトした点にあります。これについては、ブルームバーグが「ニュージーランドの「幸福予算」は模倣に値する」と報じたほか、世界の主要メデイアの多くがとりあげたことからも、ニュージーランドの「幸福予算」の考え方が、経済政策の新しい方向性を示すものとして注目を集めていることがわかります。
 もちろん、「幸福予算」は、始まったばかりであり、決して十分なものではありません、また立場を異にする野党からの批判があるのも事実です。しかしながら、思い切った改革に臆せずチャレンジするのがニュージーランドらしさです。今年の9月19日に実施される総選挙の結果如何で政策の行方は流動的ですが、その前の2020年度予算編成にも注目したいと思います。
 なお、このお話に興味を持たれた方のために、「幸福予算」の考え方の基礎になる「幸福経済学(Wellbeing Economics)」についての参考文献として、3月に出版された、拙訳『人間のための経済-ニュージーランドが目指すもの-』阪南大学翻訳叢書28(ポール・ダルジール、キャロライン・ソーンダース著、晃洋書房)をご紹介しておきます。一度手にとってご覧いただければ幸いです。