2016.9.8

ニュージーランド便り 第10回 バイリンガルはこうしてつくられる

ニュージーランド便り 第10回 バイリンガルはこうしてつくられる

 9月に入り、南半球のニュージーランドでは、桜やスイセンなど春の息吹を感じさせる花が次々に咲き始めました。こちらの学校は今月末から来月はじめにかけての2週間が春休みになります。家族でニュージーランドに来た私にとって、中学2年になる娘の学校をどうするかは大きな問題でした。在留邦人が約3000人と、日本人コミュニティーがそれほど大きくないカンタベリー地方には全日制の日本人学校はありません。娘は現地校に通っていますが、日本の勉強を忘れないため、週末は地元の学校の校舎を借りて土曜日だけ日本語で授業をおこなう「カンタベリー日本語補習校」に通っています。補習校には、幼稚園から中学校までの学年に約200名の園児・児童・生徒が在籍していて、中学部は土曜日の午後、国語・数学・社会の3教科を日本の教科書で学びます。補習校に通うのは、大部分が現地に暮らす在留邦人の子弟で、普段は現地校で100%英語環境の中で学んでいます。日本語を使うのは家での親(両親またはどちらか一方)との会話に限られるので、日本語力を維持するために親が子供に勧めて通わせるケースがほとんどです。
  • カンタベリー日本語補習校の校舎

  • 補習校のグラウンド

 その補習校で、先週同校の卒業生2名をゲストに招き、「どうすればバイリンガルになれるか」をテーマにした保護者懇談会がおこなわれました。日本で生まれ、9歳でお父さんの母国ニュージーランドにやってきた男性のAさんは、現在ハイスクール(日本の中学2年から高校3年までに相当)の最上級生です。最初は英語がわからず苦労したそうですが、やがて自分の中で英語が優位になります。日常生活で日本語を使う機会はお母さんとの会話に限られていたため、補習校では読むことが難しかったようです。補習校卒業後は、日本から取り寄せた小説やマンガなどを努めて読むようにして日本語力を維持しました。日本語を使うのは母親か補習校の友だちと話す時だけなので、出来るだけ会話をするよう努めました。ハイスクール卒業後は、帰国子女入試で日本の大学に入る選択肢もありましたが、オタゴ大学への進学を決めました。
 もう一人の女性Bさんは、お父さんが日本人で、10歳からお母さんの母国ニュージーランドに住むようになりました。カンタベリー大学でマネジメントサイエンスを専攻し、卒業後はビジネスの世界で働きながら、パートタイムで法律を学んでいます。Bさんの場合も、やはり読書によって日本語力を維持・強化しました。Bさんは、身近な血縁者と同じ言葉で話したいという思いが強く、それが日本語学習のモチベーションになったようです。ニュージーランドでは、大学に進学するためにはNCEA(全国共通教育資格試験)という国がおこなう試験の一定のスコアが求められますが、日本語はハイスクールの選択科目になっているので、その成績優秀者として奨学金を受けることができました。
  • 補習校の入学式

  • おやつ販売による資金集め

 二人の補習校卒業生の話から見えてきた海外日本人子女のバイリンガルへの道をまとめてみましょう。両者に共通するのは、一方の親がニュージーランド人で10歳前後でニュージーランドに移り住んだという点です。家では、親と日本語で会話するものの、英語環境で学び暮らすうちに数年で英語が優位になります。何とか日本語が不自由なく使いこなせるようになってほしいと願う親の気持ちから日本語補習校に通うことになりますが、小学生レベルの語彙と文法の力を高めるためには相当の努力が必要です。特に苦労するのが漢字で、普段使わない文字を覚えるのは苦痛にちがいありません。さらに月曜から金曜までは現地校で学び、その上土曜日の午後補習校に通うことは時間的にも大きな負担になります。週1回2時間の国語の授業で身につく日本語は限られています。そこで課題となるのは、いかにして日本語学習のモチベーションを保ち、自らの工夫と努力で日本語力を高めるかと言うことです。その時大きな力となるのが、親の励ましと補習校の仲間の存在です。そして、モチベーションを維持できた二人に共通するのが読書の大切さです。
 若い頃から海外で長く暮らすと自然にバイリンガルに成れるというものではなく、時間とともに現地語に傾いていく自分の中で、2つの言語のバランスをとるための努力を続けることが必要なことがわかりました。英語環境で育つ子供の前に立ちはだかる漢字という壁は私たちの想像以上に大きいようで、実際に、小学校から中学校へと学年が進むごとにやめていく生徒も少なくないようです。「カンタベリー日本語補習校」は日本政府から認可を受けた学校で、校長は日本から派遣されていますが、教員は現地に住む日本人が半ばボランティアとして働いています。限られた資源(ヒト・モノ・カネ・時間)のなかで多くの人々が支えあって成り立っている成果を目の当たりにすることができた貴重な機会でした。