2016.5.9

おいしい水を飲み続けるために:地下水への注目

おいしい水を飲み続けるために:地下水への注目

 皆さま、こんにちは。今回は私の研究対象のひとつである、「水」のお話をしたいと思います。

 突然ですが、皆さんはペットボトル水をよく飲まれますか?サントリーの「天然水」シリーズ、アサヒの「おいしい水」シリーズ、キリンの「アルカリイオンの水」、コカ・コーラの「い・ろ・は・す」・・・これらは国産メーカーによる商品です。「ボルヴィック(Volvic)」や「エビアン(Evian)」なんかも馴染み深いですね。これらはフランスに本社を置くダノングループが製造しているものです。こうしたペットボトル水の多くが、地下水や湧水を使っているのはご存知のことと思います。

 では、これらの水がどこで採水されているのかはご存知でしょうか。そこまで知って、意識して買っておられる方は、そう多くはないのではないでしょうか。
 日本には各地に「水どころ」があり、地下水はずっと昔から日本人の生活を支えてきました。縄文時代に既に人々が湧水を利用したと考えられる遺構が見つかっており、弥生時代には井戸による地下水の利用が始まったと言われています。これは、環濠集落(かんごうしゅうらく)や水田耕作の発達と関係していると考えられています。
 「井戸端会議」という言葉がありますが、これは共同井戸の周りに人があつまり、水汲みや洗濯などをしながら話をする様子からできた言葉です。井戸を中心にした人々のつながりがあったのです。今では共同井戸を日常的に使用する地域が減ったので、本当の「井戸端」会議を経験することは中々ないかもしれません。

 とは言え、今でも日本の「水どころ」では、町中のさまざまな場所から湧き出る水を汲んで、家に持ち帰り、料理やお風呂に使う人々の生活があります。また、食品、電子部品や半導体、医薬品の製造会社をはじめとし、多くの企業が地下水を利用しています。
 地下水は水質が良好であるのみならず、水温の変化が年を通して少なく、河川水などの地表水に比べると天候の影響による変化も起きにくいので、水量も安定的に供給できます。

 渇水時や災害時など、緊急時の水源としてもきわめて有用です。たとえば平成19年7月に発生した新潟中越沖地震では、断水が3週間続きましたが、通常は消雪用井戸として使われている地下水が生活用水として利用可能だったため、深刻な水不足に陥らずに済んだと言われています(※1)。地表水を用いる水道施設と違って、地下水の利用には大規模なインフラが必要でないため、使い勝手が良く安定的なのです。
  • 熊本地域における地下水の人工涵養。畑の水に空が映り込み、とても美しいです。

  • 愛媛県西条市のうちぬき水。西条ではまちの至る所で天然水を飲むことができ、次々と人が水を汲みに来ます。

 しかしながら、地下水を大規模にくみ上げる技術が発達していくにつれ、過剰に利用されるようになっていきました。深部にある被圧している地下水を汲み上げる技術が発達していったのは18世紀頃と言われています。「掘り抜き井戸」が登場し、明治中期には揚水ポンプも導入されるようになりました(※2)。高度経済成長期に地盤沈下などの公害が深刻化したことはよく知られていますが、近代的な深井戸が掘られるようになって間もない大正時代の初期には、既に一部の地域で地盤沈下が確認されていたと言われています。また、重金属、有機溶剤、肥料・家畜の糞尿・生活排水等に含まれる硝酸・亜硝酸性窒素などによる汚染も深刻化しました。

 地下水というひとつの資源が、多数の利用者によって過剰に利用され、やがて回復不能な臨界点を踏み越えてしまい、汚染や枯渇が発生してしまう。こうした現象を、アメリカの生物学者ギャレット・ハーディンは「コモンズの悲劇(The tragedy of the commons)」と呼びました(※3)。おいしい地下水を飲み続けるためには、こうした「コモンズの悲劇」が起こらないように、しっかりとしたマネジメントの体制をつくっていかねばなりません。

 実は日本には、地下水を総合的に保全するための法律が整備されていません。地下水問題の深刻さが顕在化した1970年代に、法律の制定に向けた議論が活発化した時期があったのですが、結局「地下水法」の制定は実現しなかったのです。
 そのため、地下水を利用している各地域において、地方自治体が個々に条例を制定して対応してきました。それらの条例は、各地で起こっている問題の性質や社会的状況を踏まえた、多様性に富んだ内容になっています(※4)。

 法律の制定が実現しなかった原因のひとつは、水に関わる複数の省庁によるセクショナリズム(縦割り)です。水はその領域によって、例えば水質問題は環境省、河川やダムについては国交省、農業用水は農水省、水道は厚労省、工業用水は経産省といった風に、様々な省庁が関わっています。健全な水循環を守るため、こうした縦割り構造を打開していこうと制定されたのが、2014年の水循環基本法です。本法では、水循環の保全に関する施策を推進する組織として「水循環政策本部」の設置を定めています。
 今後は、各地で独自に実施されてきた多様な施策と、国として実施する水政策が有機的に連携し、効果的なシナジーを生み出していかねばなりません。そのためには、行政だけでなく、地下水の利用者である市民や企業が政策に参加していくことが求められます。

 地球上に存在する水の総量は、およそ14億km3です。そのうち約97.5%は海水です。人間が利用できる淡水は、わずか2.5%しかありません。その淡水も、南極の氷や氷河、高山の雪など、固体として存在しています。液体で存在する淡水はごくわずかしかないのです。そして、その多くは地下水です(※5)。
 人間の利用できる希少な資源である地下水。現在、世界人口の半数以上が地下水に依存した生活を送っていると言われており、今後の人口増と人間活動の活発化により、更なる利用増大が見込まれています。
 日本では、2006年の全国における水使用量は831億m3であり、地下水利用量はこのうち約13%にあたる104億m3を占めています(※6)。特に熊本市周辺では90万人以上が、鳥取県、福井県、岐阜県、高知県、静岡県でも県民の60%以上が地下水に依存しており、人々の生活や経済は地下水を抜いては成り立ちません(※7)。

 一方で、気候変動問題が深刻化しています。気候変動によって、?一部の地域で地下水の涵養能力が低下する、?降水量の変動が大きくなるため地表水量に変化が出て、その解消のために地下水利用が必要とされるようになる、などの影響が指摘されています。さらに、気候変動によって海面が上昇すると、海抜の低い地域では地下水が塩水化してしまい、もともと乏しい淡水資源がさらに利用不能になってしまうという恐れもあります(※8)。

 すべての人間が必要とする、水。スーパーやコンビニでペットボトルの水を買われたときには、採水地を調べて、「水どころ」に思いを馳せてみてください。できれば「水どころ」を訪ねて、湧き水を自分の手ですくって飲んでみてください。その清冽さと口の中を優しく包み込むようなまろやかさに、感動するはずです。
 そして、その水を育んだ自然、その水と共に生きてきた人々のことを思ってみてください。その時に、今回の水の話を少しでも思い出していただけたら嬉しいです。

参考資料

  • ※1 国土交通省「震災時地下水利用指針(案)について」(2016/4/25 アクセス)
  • ※2 鐘方正樹(2003)『井戸の考古学』同成社.
  • ※3 G Hardin(1968)The Tragedy of the Commons. Science, 162 (3859), 1243-1248.
  • ※4 千葉知世(2014)「地下水保全に関する法制度的対応の現状:地下水条例の分析から」『水利科学』58 (2), 33-113.
  • ※5 環境省「平成22年版 環境白書・循環型白書・生物多様性白書」
  • ※6 国土交通省水資源部「平成21年度版 日本の水資源」
  • ※7 日本地下水学会・井田徹治(2012)『見えない巨大水脈 地下水の科学−使えばすぐには戻らない「意外な希少資源」』講談社.
  • ※8 サンガム・シュレスタ、片岡八束(2008)「地下水と気候変動:もはや隠れた資源ではない」財団法人地球環境戦略研究機関『IGES白書 アジア太平洋の未来戦略−気候政策と持続可能な開発の融合を目指して−』.