2016.1.12

「平和と宗教」フォトジャーナリストの柴田大輔さんに講義をしていただきました

「平和と宗教」フォトジャーナリストの柴田大輔さんに講義をしていただきました

 10月に続き、11月18日に「平和と宗教」の授業でゲスト講師の方に講義をしていただきました。今回は、10年以上、ラテンアメリカとくにコロンビアで先住民族の生活や文化、社会活動の取材を続けてこられた、柴田大輔さんです。
 コロンビアや中南米は、日本では国際ニュースとしてあまり情報が入りませんが、だからこそ、先入観にとらわれないことが大事だと柴田さんはおっしゃいます。最初に、ふだん見慣れている日本を中心にした地図ではなく、日本海を中心に南北を逆にした東アジアの地図や、大西洋を中心にしたり南半球を上に置いたりした世界地図を見せてもらいました。私たちが、知らぬ間に先入観によってものごとをありのままに見ることを阻害されていることに気づかされます。

 柴田さんは、コロンビア取材を始めた当初は都市部にいらしたそうですが、その頃にはわからなかった、地域ごとに異なる気候とそれに合わせた生活と文化があることを、長期の取材で実感されたそうです。また、アメリカ大陸をクリストファー・コロンブスが「発見」したということで、10月12日を「新大陸発見の日」としていたのを、先住民族の視点から「抵抗」の日にしようという動きが起きているのも、固定観念にとらわれないからこその運動です。自分がどの視点に立ってものごとを捉えるのか、それが問われているのだといえるでしょう。
 柴田さんが中南米取材を始める大きなきっかけとなったのがニカラグアで、首都マナグアの「チュレーカ」と呼ばれるゴミ捨て場に行かれたそうです。街の人たちは蔑みを込めてそこの住民を「チュレケーロ」と呼ぶそうですが、チュレケーロ自身は自分たちに誇りをもっているそうです。炎天下のなかゴミの発熱も手伝ってものすごい高温になってふらふらになり、ともすれば危険を伴う場所での取材に、初めはビクビクしていたと正直な気持ちを話されました。同行した先輩のカメラマンが取材を終えて帰ってしまい、一人になると、チュレケーロからはまったく相手にされない。その頃を振り返って、柴田さんはこう話されます。「それは当たり前ですよね。突然、自分たちの住んでいるところに外国人がやってきてカメラを向けて、ビクビクしているのだから」。
 しかし、ここでの取材によって、自分は何者なのか、そして「ゴミ捨て場の人々」としてではなく、一人ひとりの人生があることに気づかされたと柴田さんはおっしゃいます。彼らと何気ない会話を交わすなかで、ビクビクしていたときには見えなかったことがわかるようになる。失業率の高いニカラグアでもここでは比較的高給を得られること、一時的な収入を得るためにチュレーカに来ている人もいること、数年後に再訪した時には亡くなっていた人がいること。私が印象深く感じたのは、ある子どもが周囲の熱で温かくなったコーラとピザをくれたときに、柴田さんが一瞬迷ったけれどそれを飲み、食べたということと、そうしたら子どもが柴田さんに帽子をくれた、という話です。柴田さんは、「仕事のやりがいとしてではなく、人として気持ちが高揚した」と話されましたが、それは聞く側にも深く伝わってくるものがあります。
 コロンビアでは、先住民族のナサ族が住む深い山あいの村に、内戦の最も激しい2006年に滞在されたそうです。そこは先住民族の自治による生活が営まれている村で、村人の家に居候しながら3ヶ月ほど生活されました。写真では、丘の上で村を見下ろしながらの会議でのどかに見えますが、すぐ近くで政府軍とゲリラの前線があって、軍事的緊張のある地域です。自然豊かな山村で起きる戦闘は、都市部で暮らしているだけでは見えないけれども、1960年代から政府側の支配層と反政府ゲリラとの戦いが続いてきまし た。これは、国の大部分の富を握る資本家や大土地所有者など支配層と、その支配層に銃を向けて、彼らに虐げられている多くの農民に土地を解放しようとする ゲリラとの内戦という意味合いをもっています。

 一方、村の中で社会適応が難しかったりゲリラをカッコいいと考えたりする若者が、ゲリラに参加するという現実もあります。それは、多くの若者に身体的・精神的な苦痛を与えています。ゲリラに入ったある若い女性が、妊娠をして村に戻ってきたのですが、子どもができたがゆえに人々が「殺し合っている」ということにショックを感じているのだそうです。彼女はいま、子どもを育てながら暮らしているのですが、村では精神を病んだ若い母親を排除することなく、子どもが母親の面倒をみるのを村人たちが支えているのです。これは、いまの日本社会の排他性を考えると、実に対照的な社会のあり方だと思います。
 また、村で寝泊まりをさせてもらった家の十代の少年と話したときに、柴田さんが「先住民族の文化」に基づいて話をしたけれども、その少年は先住民族としてみられることを嫌がったそうです。彼は、町の文化に関心があるのだといって反論してきたのですが、柴田さんはその少年との話し合いの中で、自分は「先住民族」の文化や生活についての先入観に基づいて接していたのではないかと省みられたそうです。先住民族の人々の生活は、現代では伝統的なものと同じではないですが、これは私たちも、先住民族の人々や彼らの生活文化を観光資源化していることを考え合わせると、深い問題をはらんでいるといえるでしょう。
 村の人々は、山で暮らしていれば、現金収入があまりなくとも自給自足で生きられるし、またそのための知恵は長い歴史の中で人々の生活を支えてきたものである。しかし、ゲリラと国軍の戦闘のために国内避難民となり、村を離れて町に暮らすようになると、貨幣経済で物事が動くため、初めて「貧乏」を経験するようになる。町の生活がもたらす貧しさと窮屈さから、戦闘が収まった村へ数年後に戻ってくる人も少なくありません。しかし何年も家を空けて戻っても荒れ放題で、すぐに生活できる状態ではない。そのようなときは、他の村人が自分の家に泊めて、帰還した村人が元の家に住めるようになるまで支え合うのだそうです。日本のように簡易なプレハブの仮設住宅に住まわせるのではなく、普通の民家で少し狭いけれどともに暮らしながら元の生活に戻れるように支援するもので、被災者支援のあり方がどれだけ人間的であるか、考えさせられます。
 こうした地域の支え合いは、政府による学校も病院もないためではあるものの、政治的な腐敗と暴力が続く政権による教育・社会福祉の充実は期待できない。むしろ村の外からは、軍事的な対立や鉱物資源のための土地収奪、ダム建設など、暴力的に生活を破壊するものが持ち込まれるばかりである。そういう紛争と対立のなか、遠いコロンビアの小さな村で、自然と共に生きる平和な生活を取りもどそうとする先住民族の人々の願いは、太平洋の対岸に住む私たちにも強く訴えかけてくる普遍的な広がりと深さがあるのではないかと思います。