2013.12.10

奈良の建造物IN興福寺

奈良の建造物IN興福寺

 大型地震と隣り合わせで暮らしている日本では、近年、地震対応の建築工法の目覚ましい発達とともに多様な地震対策が施されたユニークな建物が増えています。特に、阪神淡路大震災の際は、関西では色んな所で沢山の建物が崩壊しました。しかしながら、昔からある奈良の建造物の五重塔などは崩壊しなかったのです。なぜ、あれほど年月がたっているにもかかわらず五重塔はすり傷ひとつなく無事立ったのか非常に興味がわきました。それで、私達は、奈良の建造物について調べました。その中で、五重塔の柱のユニークな仕組みを知りました。昔ながらの工法の中で、揺れの衝撃を吸収しながら、左右の均衡がとれるようにユニークな施しがされていました。そのユニークな柱が大きな地震の衝撃から五重塔を守っていたのです。CHOゼミでは、早速現地調査に出掛けました。3つのグループに分けて調査を実施しました。その中で、私達は、奈良の興福寺を中心に五重塔と南円堂と北円堂を調べました。なぜ、五重塔は、昔なのにあんなユニークな仕組みの柱が出来たのか。お寺としては珍しい八角形をなしている南円堂と北円堂を調べ、その部分を報告します。

※この報告は、阪南大学【実学志向型総合的キャリアシステムの構築】事業の2013年度キャリアゼミ支援事業「異文化交流と比較文化論的調査により多文化共生を目指す(CHOゼミ)」の「奈良の建造物調査」の活用法に関する調査報告の一部です。
※この学生教育研究活動は阪南大学学会より補助を受けています。

調査1.五重塔の地震対策
住吉 安沙実

 日本は地震が多い国です。そしてたくさんの地震のもとになるプレートが集結している国とも呼ばれています。
 1995年、関西地方で大惨事をもたらした阪神淡路大震災では、死者が6300人、負傷者4万3千人、全半壊家屋20万9千棟でした。神戸市内では高速道路の高架橋やビルなども倒壊しました。しかし、八幡神社や五重塔はほとんど無傷でマグニチュード7.3の地震を耐えぬいたのです。五重塔が倒壊したという話は聞いたことがありません。なぜ五重塔が倒れないのか、五重塔には現代の建物にはないどんな耐震方法があるのか、そして五重塔の立て方を現在応用して建てられているのかなどを調べました。

【五重塔】
 興福寺は藤原氏の氏寺として威容を誇った広大な敷地。今はこじんまりとした奈良公園の一角としてあるように見えますが、実際はそうではなく、興福寺の境内に奈良公園が含まれているのです。鎌倉時代に作られた国宝彫刻作品24件のうち11件が興福寺にあります。
 運慶・快慶などの慶派といえば興福寺です。そして、南円堂の西側の低い土地にある、三重塔も五重塔と同じ仕組みで建てられています。三重塔は、平安時代に創建された「三重塔」は和様化の現れで初重に周り縁が付くようになった初期の建築です。しかし、今回は、五重塔を中心に調べてきました。

【五重塔の地震対策】
 五重塔の地震対策の一つはすべて木でできているところです。釘を打つとそこから木が傷んでしまうために強度が弱くなってしまいます。釘を使わないことで強度が増します。また、木にはコンクリートと違って柔軟性があります。五重塔の中まで見ることができませんでしたが外見はすべて釘も使わずに、組まれていることがわかりました。
  • 【写真:木で組まれていることがわかる】

【心柱の役割】
 心柱は、周囲の柱や針に固定的に接しておらず、塔の重さを支えているわけではないです。強く揺れた際、つみかさなった各層が外れないようにかんぬきの役割をしているのです。つまり、心柱は建物本体とは逆に動き、その揺れを抑えています。このような役割を持たせた建築工法が現代も使われているおり、スカイツリーでその応用が見れます。

【物体の役割】
 自身の揺れを受け取るときしんだり摩擦を起こして揺れのエネルギーを吸収したり、
熱に変えてブレーキの役割をします。

【やじろべえ】
 五重塔の屋根の部分には重圧なかわらが使われています。五重塔の屋根には少し先が上に反っていて独特な形をしています。屋根は軽いほうがいいような感じがしますが、屋根の重み、形がやじろべえのような役割を果たし、独特な形でバランスをとっています。

調査2.南円堂と北円堂
山下若菜

 お寺にしては珍しい八角形の形をした建物がありました。八角形の建物は南円堂と北円堂があります。事前調査で分かった特徴を中心により詳しく調べるため現地調査を行いました。
 興福寺は669年に建てられた南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院です。藤原氏の祖・藤原鎌足(かまたり)とその子息・藤原不比等(ふひと)ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇りました。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。
 八角形という珍しい形をしている理由は、円形の建物を作りたくても、日本建築の基本は木造であり、円形平面を造るのが困難なためです。つまり、六角や八角で円形を象ったためです。これを八角堂や六角堂といい、総称して「円堂」と言います。というわけで、南円堂、北円堂は両方とも八角円堂になっています。
 南円堂は、八角円堂が特徴で国指定の重要文化財に指定されています。対面径が15.5mであり、一辺面が 6.4m、屋根は本瓦葺になっています。813年に藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を祈りたてたといわれています。「南円堂」は日本で最も大きい八角円堂といわれており、興福寺の諸堂の中でも建立された時期は最も新しく、南円堂の造営をもって興福寺全体の規模が整ったといいます。
  • 南円堂の写真

  • 北円堂の写真

 北円堂も八角円堂であり、国宝に指定されています。対面径が11.7m、一辺面4.9m、 屋根は本瓦葺きになっています。日本にある円堂の中で、最も美しい円堂といわれ、712年に藤原不比等の一周忌に建てられたといわれます。
 この2つの円堂には軒の垂木に大きな特徴があります。垂木は、建物から腕を出して屋根を支える腕木の事で、一般的に深い屋根を二段の垂木で受けています。建物に一番近い方を、地垂木といい、その上からさらに先へ延ばしている垂木が飛燕垂木(ひえん)といいます。興福寺の北円堂と南円堂は、垂木が三段になっており、地垂木の形は四角が基本的な形ですが地垂木の形状が六角形をしているところが面白い特徴です。屋根は両方とも本瓦葺きになっています。

 事前の調査で分かった特徴を中心に本当に垂木が六角形になっているのか、ほかの建物の垂木はどうなのか比較しながら見学を行いました。

 まず初めに南円堂を見学しました。南円堂は写真で見た通り色が鮮やかで八角形をしていました。本瓦葺きの屋根の瓦も販売もしてあり、直接手で触ってみることもできました。南円堂は近くまで行くことができ、軒の下を覗いてみると垂木がしっかりと三本になっていて一番下が本当に六角形になっていました。
  • 南円堂の垂木

  • 販売してあった本瓦

  • 北円堂の垂木

 北円堂は残念ながら工事中で近づくことができませんでしたが、遠くから見てもとても綺麗でした。カメラでズームをしてみると軒はしっかり三段で一番下は六角形になっていました。北円堂に比べ南円堂のほうが縦長なように見えました。南円堂や北円堂の他の建物の軒を見てみると他の建物は一番下の垂木が六角形ではありませんでした。
 北円堂がなぜ六角形をしているのかを尋ねましたが詳しい方が不在のため理由がわからないままで、非常に残念でした。次の機会には、是非ともより詳しく調べたいと思いました。

 今まで寺といえば五重塔などの塔や仏像をメインに思い浮かべました。他の建物や建物の造りまでに注目することがありませんでしたが、今回の調査で他の建物と比較をしたことで、お寺の中の建物にはそれぞれ違った工夫がされていて、それぞれに魅力があるという事を知りました。一番知りたかった北円堂が六角形である理由が聞けなかったことや北円堂を近くで見ることができなかったのが残念でした。中に入れなくて、調査できる部分が少なかったのですが、これからも個人でも続けて調べたいです。