2016.12.22

第2回「都市文化史論シンポジウム2016」を開催しました

第2回「都市文化史論シンポジウム2016」を開催しました

2016年12月7日(水)、「都市文化史論」の日本(京都)、アジア(西安)、ヨーロッパ(フィレンツェ)をそれぞれ担当する神尾登喜子教授、陳力教授、松本典昭教授が合同授業のなかで、本年度第2回目のシンポジウムを開催しました。 今回のシンポジウムのテーマは「都市の風景が変わるとき」。第1回目のシンポジウムでは、都市の誕生や形、規模などを話し合いましたが、今回はどのようなときに都市の風景が変わるのか?ということを、権力と都市空間の関係に注目しつつ話し合いました。MCは神尾教授でした。

都市文化史論2016 第2回シンポジウムを終えて 教員コメント

神尾教授
2010年度から始まった「都市文化史論」シンポジウム。7年目を迎えたことになる。7年間、私たちはただひたすらに熱く、議論を交わしあった。受講学生諸君にしてみれば、いったいこの人たちは、何をしているのか?と疑問視するところも多々あったかと少しだけ反省している。隣接する学問分野とはいえ、それぞれがやっている研究は全く異なる。異なるからこそ、当たり前の質問が出てこないのだ。斜め60度くらいの角度からの質問を互いに投げ合う緊張感。受ける方も投げる方もかなり面白い。講演会ではないからこその、冷や汗もたくさん流してきた。さて、その面白さが学生諸君に伝わってくれたらいいのだが…。

松本教授
受講学生の感想を読んでうれしいのは、「3人の先生がたが少年のように楽しそうに話しておられるので、楽しく聞くことができた」というものである。同趣旨の感想は毎回あって、毎回うれしく読ませてもらう。まずは教師自身が楽しむこと。答えのない課題に苦しむことが楽しいという、その研究者の姿勢を見せること。われわれは「少年のように」(笑)知的好奇心いっぱいですよ。あとは学生諸君の感受性と知的好奇心、傾聴力、質問力、文章力に期待したい。ラクするのが楽しいのではなく、汗を流すことが楽しいのだと知ってほしい。苦しい楽しみを共有しましょう。

陳教授
今年度のシンポジウムも2回目に入って、受講生はこの形の授業になれ、レポートに以前あまり見たことのない深い質問をするのをみて、非常に嬉しいと感じた。シンポジウムのテーマを絞って、少し深い内容を提供してよかったとおもう。地図・俯瞰図に興味をもっている受講生が多いので、来年度さまざまな形の地図で記録している都市の姿及びその姿が変化する模様を受講生に提示して議論したい。

都市文化史論2016 第2回シンポジウム 学生コメント

川崎氷雅:国際コミュニケーション学部
三つの都市を「都市が変わるとき」という同じ視点からみていくと、都市が変わる要因にはある程度の共通点があったが、その変容の仕方・内容はそれぞれの都市によって大きく異なっている点もある。これはとても面白いとおもった。例えば、都市が変わる要因には、政治勢力の移り変わりというものがあり、これはフィレンツェ、長安、京都のいずれにも当てはまるように感じた。それ以前の古い体制を象徴するものをどう扱うかというのは、都市によって違いがあるように感じた。日本や中国の歴史では、権力者が移り変わり、政治体制が新しいものへと移行した際に古い体制を象徴するものを打ち壊しているイメージだったが、イタリアではそうではなかった。なぜこのような違いが生まれるのかが気になった。

中本晃平:国際コミュニケーション学部
今日のシンポジウムを受けて三都市の情報を色々新しく知ることができてとても勉強になった。昔の北京を改造するとき、梁思成夫婦は北京を伝統的で消費的な都市にし、その西部に斬新な北京をつくり、政治や生産的なエリアにしようと考えていた。これを知って素晴らしい考えだとおもった。フィレンツェは航空写真のような俯瞰図は物凄いとおもった。作者はどのように都市全体を頭の中でイメージして俯瞰図を描いていたのか、をおもうと、その想像力は果てしないなと感じた。
京都はほかの二都市に比べて城壁というものではなく、御土居を造った。都市の考え方は三都市が全然違うなとおもった。滋賀の琵琶湖の水を管理するのが京都水道局というのは知らなかった。自分でさらに詳しく調べたいとおもった。

松本美麗:国際コミュニケーション学部
シンポジウムで印象に残ったのは、古いものを破壊するか、保存するか、新たにアレンジしていくか、という違いです。フィレンツェの場合は、共和制時代のダヴィデ像と君主制時代のヘラクレス像が並んで立っていました。二つの彫像のあいだには30年の違いしかありませんが、時代背景が違い、政治的なメッセージが違いました。それでも以前の像を破壊しないのがすごいと思いました。芸術的価値があるものを残すのはフィレンツェらしいと思いました。京都の場合は南禅寺と琵琶湖から水を引く水路閣が共存し融合しているのが独特だと思いました。

的場直希:国際コミュニケーション学部
長安が刑務所のようだと聞いて、漫画の「進撃の巨人」を連想した。もしかすると漫画も歴史的なことを参考にして今風に描いているのかもしれない。皇帝が「高血圧」という言葉も、身近な言葉なので、面白いと思った。フィレンツェはダヴィデ像とヘラクレス像が隣り合っているのが面白かった。その列にコジモ1世の騎馬像が並ぶのは、絶対君主のパワーを見せつけていると思った。京都は紅葉のスポットで、南禅寺に行ったことがあるが、水路閣が京都らしくないと思う反面、妙に景観にとけこんでいたのを思い出す。「伝統文化と新しい文明が同居している街」。まさにその通りであった。

宮城孝充:流通学部
前回と引き続き、時間を1分1秒も無駄にしないようなシンポジウムでした。今回は、各都市の画像をたくさん見せて頂いたので、各都市のイメージが立体的に膨らみました。テーマは「都市の風景が変わるとき」。政権が変わると都市も変化するという説明を受けた時、私が住む大阪に橋本氏が「都構想」という大きな変化、都市機能の変化を与えようとしたことを連想しました。3都市の変化に共通しているのは、歴史・伝統のあり方について直面しながら、それをどのように配置するのか、あるいは改編するのかという点です。フィレンツェは、歴史と伝統を大切にしているようにも感じました。それに対して、西安・京都は若干焦りの中での近代的な都市改造をしているのでは、と理解したところです。いずれにせよ、2回のシンポジウムを通して感じたことは、それぞれ、異なる都市を比較して共通点を見出すことの大切さでした。なぜそうなったのか、という疑問を抱くことの難しさと重要性を実感する共に、それらを日ごろから身に着けるきっかけにもなりました。

山本麻由:国際コミュニケーション学部
それぞれ離れた場所でありながら、都市構造や為政者の交代によって変化を生んでいくという共通点。個々の都市の理想とは誰が構想し、誰が目指すのか。国家や都市のトップなのか、それとも市民なのか。今回のシンポジウムでは、このような疑問が私の中に生まれました。フィレンツェ・西安・京都の各都市を研究される松本先生、陳先生、神尾先生のシンポジウムへの参加の方法を見ていると、学生とは全く異なる姿勢が分かります。3人の先生のそれぞれの発表の内容に耳を傾け、疑問を抱いた点に関してともに議論しコミュニケーションをとっている姿を目の当たりにできたことは、貴重な経験でした。