第1回「都市文化史論シンポジウム2016」を開催しました

10月26日(水)、833教室で今年度第1回目の「都市文化史論シンポジウム2016」を開催しました。国際コミュニケーション学部では、「都市文化史論」の日本、アジア、ヨーロッパの3科目が同一曜日同一時限に配置されています。担当者は日本(京都)が神尾登喜子教授、アジア(西安)が陳力教授、ヨーロッパ(フィレンツェ)が松本典昭教授です。講義科目でありながら、シンポジウムという普段とは異なる授業形態のトークショーに学生たちも興味津々、熱心に聞き入り、ノートをとっていました。MCは神尾教授でした。

都市文化史論2016 第1回シンポジウムを終えて 教員コメント

都市文化史論(日本)担当者:神尾登喜子教授
 毎年のことながら、毎回、新たな発見がある時間といっても過言ではないだろう。互いの1年間という時間の中での研究成果を携えて、本音でぶつかり合い、鍔競合いをしながら、緊張とワクワク感に満ちた90分間を構成すること。それがミッションであるとともに、受講学生諸君に、互いを尊重しながら討論することでの刺激満載の時間をどのよう届けるか。
 その中で、2016年度の受講生諸君が提出してくれたレポートによって、次なるステージに向かってのメルクマールを与えられたようにも思う。講義科目でありながら、レポート提出にあたって、学生諸君が、私たち担当者のシンポジウムでの発言を、再構築し、咀嚼し、そして担当者に還元してくれるという好循環を生み出してくれているように感じる。
 第2回目のシンポジウムをどのように組み立てるか。それは、まだわからない。どのような構成になるにせよ、受講学生諸君に刺激を提供できる内容でありたいと願っている。

都市文化史論(アジア)担当者:陳力教授
 例年と同じように私は都市文化史論のアジアの部分を担当しており、授業で講義している内容は主に長安の文化史です。受講生は中学・高校で長安のことを少し勉強したことがあるでしょうが、三人の教員が日本・東洋・西洋を俯瞰できる知識体系を受講者に提供する授業方法は珍しいでしょう。受講者に外国の都市文化史を勉強する意味を理解してもらうには非常に有効だと思います。
 三人の教員はそれぞれ異なる地域の都市を研究し、それぞれ違う視点で都市文化を解剖しているので、私はシンポジウムで他の二人の担当者の研究成果と見解を聞いて、いつも知的刺激や啓発を受けております。毎年シンポジウムの討論から授業の改善と研究の向上のためのいい栄養分をいただいています。また、シンポジウム後の受講者のコメントを読んで、学生の勉強力と思弁力の向上を感じております。二回目のシンポジウムまで、学生の知的好奇心をより満足できるように、授業を展開していきたいと思います。

都市文化史論(ヨーロッパ)担当者:松本典昭教授
 受講学生諸君には、暗記は苦痛でも発見は快感だ、ということを知ってほしい。私だって暗記は大嫌いだ。われわれ三人は脳内における発見の快感を知っているのだ。その快感を共有してほしいと願っているのだ。発見の快感をえる第一条件は、自分がモノを知らない、という無知を自覚することである。渇いた喉には一滴の水でも十分おいしいように、飢えた脳には一片の知識が十分におもしろい。自分がモノを知っていると錯覚していると、一片の知識もうけつけない。知らないから知りたい。もっと知りたい。快感をえたい。自分も世界も謎だらけであり、驚きに満ちている。知る快感を知らないなんて、もったいないではないか。
 そんなことを感じるシンポジウムだった。知的刺激を与えてくださる二人の先生に感謝。

都市文化史論2016 第1回シンポジウム 学生コメント

国際コミュニケーション学部 小椋 隆司
 北半球にあるフィレンツェ・西安・京都の三都市は、それぞれが全く違う場所にあり、また形成された時代も全く異なる。最初は、この違いばかりの背景を持つ三都市について、三人の担当教授が同じ教室で、3科目が一つになりシンポジウムを実施すると聞いても、共通点が無さ過ぎて混沌とした授業になってしまい、受講している学生は誰一人として理解できないのではないか、と思っていた。しかし、実際は当初の予想をいい意味で裏切られ、共通点も多かった。
 三都市が東西に分かれていながらも、それぞれがほぼ同緯度に位置していた。三都市を俯瞰してみるという視点が無かった私にとっては、衝撃的だった。シンポジウムの中で「人間の宇宙観」という表現がなされたが、現代都市に住む私たちにとっては、「都市」とは、最も合理的に形成されるもので、そこに「神」や「宇宙」、「哲学」が入る余地はない。ところが、それぞれの都市が形成された当時、その空間は政治や経済の中心であるだけではなく、「宗教」の中心であったということがわかりました。すなわち、三都市それぞれは、神と宇宙と人間をつなぐ唯一無二の空間という価値も付加されているのではないかと感じた。

流通学部 宮城 孝充
正直なところ、内容は難しくてメモが間に合わず、聞いているだけで精一杯だったが、科目担当教授の3人の先生がリレーのように、講義を進め、先生が先生に質問をしていたことに瞠目した。どのような視点で疑問を持ち、質問となるのか。これをライブで見られたことは質問をするというアクションに対して大いに参考になった。それはまるで、池上彰のテレビ番組を見ているような感覚があった。これまで大学で受けたことのない講義の進め方だったので、楽しく興味を持ちながら受講できたと思う。
もしも、次回以降のシンポジウムで可能ならば、フィレンツェと西安は、地名だけしか知らないので、現代ではどのような都市として知られているのかを講義してもらえると、もっと立体的な空間として捉えられるのではないか、という期待がある。

国際コミュニケーション学部 越智 甫
 松本先生・陳先生・神尾先生のシンポジウムを聴いて、フィレンツェ・西安・京都の街の歴史や特徴を詳しく知ることが出来た。全く地域が異なる都市であるにもかかわらず、共通点が多々あることに驚いた。このような複数の教授によるシンポジウムを聴いたのは初めてで、同時に3種類の都市文化史を学ぶことが出来たのは貴重な経験であった。第2回目のシンポジウムも充実した90分間になるのだろうと、楽しみにしている。

国際コミュニケーション学部 永井 大智
 「都市文化史論(アジア)」を履修しているので中国のことを勉強していますが、今回のシンポジウムで新たに京都・フィレンツェのことを学び、そこから共通点・相違点を見つけることで、新たな視点や都市に対する理解が深まりました。それぞれの街に違った特徴があり、他の街を模倣することもありますが、政治的・経済的、交通・環境・運勢・信仰の要素から考えた結果、「偶然」に似たような部分もできたことなどを知り、とても興味深いと思います。三人の先生がそれぞれの都市について詳しく話してくださり、歴史の壮大さ、謎めいたことを数多く感じました。
 
国際コミュニケーション学部 大野 結香
 今回は初めてのシンポジウムで、三つの授業が合同で集まり、フィレンツェ・西安・京都の三都市を学び、これまで知らなかった各都市の共通点や相違点を知ることができました。私は、陳先生が担当する長安(西安)を中心にこれまで勉強していて、京都やフィレンツェとの関係性などがわからずにいました。今日のシンポジウムをきっかけに世界を見る視野が広がりました。アジア・日本・ヨーロッパを学んでいくことで、さまざまな国の文化はもちろんですが、都市の造りや歴史をもっと知りたいと思いました。また、これから都市文化史論の授業を通して長安(西安)のことをもっと知りたい気持ちがましてきましたので、次回のシンポジウムでも京都とフィレンツェの都市のことをさらに深く理解できたら嬉しいです。

国際コミュニケーション学部 中谷 駿介
「三都市は異文化に通ずる道、シルクロードの上にある。国際コミュニケーションができる場所」。この言葉がとても心に響きました。このシンポジウムで扱われている三都市がそういう意味で交通しているとわかりました。三都市の中でフィレンツェと西安は城壁が立派なものですが、京都は城壁がなく自然の地形を利用して南に広がっていく都市です。これは意外でした。日本人は物作りに長けているイメージなので、最強の城壁を造れたのではないのかと思いました。都市と農村を分けるにあたり、平安京は特に何か境を造っているわけではありません。しかし、フィレンツェと西安は都市の周りを囲むようにして城壁があり、城門もあります。
 唐代の長安に大学(太学)があることを聞いて驚きました。阿倍仲麻呂の経歴が紹介され、このような「海外で活躍していた日本人」はこれまで知りませんでした。中学・高校で歴史を学びましたが、それは日本人の視点だったので、今回は他国の視点で見た歴史の面白さを感じました。

国際コミュニケーション学部 山? 真琴
 3つの異なる授業が合体して1つの授業になるなんて、阪南大学に入ってから初めてのことなので、とても良いなと感じました。
 私は都市文化史論(ヨーロッパ)を受講しているのですが、ヨーロッパ代表のフィレンツェ、アジア代表の西安、日本代表の京都の3都市の共通点(気候、環境、形、道路など)と相違点(規模、時期、城壁など)を見つけだすことができ、とても充実した授業になりました。

国際コミュニケーション学部 伊藤 紗優美
 昨年に引き続き履修したのですが、変わらず先生がたのトークショーで、聞いている私までもワクワクする時間でした。昨年度は日本(京都)を履修しました。授業で聞いたことが多く出てきたので、なんだか楽しかったです。
 深く印象に残っていることは、伝統がその都市の個性として残るという言葉でした。長い歴史をもつ3都市についてのシンポジウム。次回も楽しみです。楽しそうな、学生のような、キラキラ感のある先生がたをまた見ることができますように。

国際コミュニケーション学部 的場 直希
 三都市のなかで一番親しみがあり知識があるのは京都だと思っていたが、三都市を比べることによって知らないことがたくさん出てきすぎて、自分の知識はまだまだだと思った。似ているようでやはり違う。しかし原点は同じ宇宙、同じ人間。そして都市は「人工」と「自然」が関わっていないと成り立たないこと。
 いま私たちはなんとなく生きているけれども、過去に誰かが都市をつくったから、その都市が存在している。誰かのおかげで私たちはいまその都市に住むことも知ることも観光することもできる。どれだけ時代が過ぎても昔の人たちとのつながりを感じることができる。過去につくられたということは、私たちも新たにつくることができるということだ。