【松ゼミWalker vol.153】IGU 2014クラクフで学会発表してきました!(教員 松村嘉久)

IGU 2014クラクフという国際学会について

 2014年8月18日(月)から22日(金)の日程で,ポーランド南部の古都クラクフにて,IGU 2014クラクフという地理学の国際学会がありました。
 正式な会議名は,International Geographical Union Regional Conference in Krakow, Poland,2年前のドイツのケルン,昨年の日本の京都に続き,松村は3年連続でこの国際学会に参加しました。今年のテーマ【Changes, Challenges, Responsibility(変化,挑戦,責任)】のもと,世界中から優に1,500名を超える地理学研究者がクラクフに集結しました。
 なお,今年度の参加では,阪南大学会から国際学会発表に対する支援をいただきましたので,ここに記して感謝いたします。支援をいただいたスポンサーには,成果還元するのが礼儀ですから,松ゼミWalkerで,みなさんが「国際学会へ参加して発表する」というイメージを持てるよう,気軽にレポートしたいと思います。なお,昨年(【松ゼミWalker vol.122】2013年京都国際地理学会議に参加して),一昨年(【松ゼミWalker vol.105】IGC 2012 COLONGEに参加して)の様子もぜひご覧ください。

IGUでの学会発表について

 IGUの国際会議は,公用語が英語とフランス語,このどちらかで発表しなければなりません。ただし最近は,フランス語圏の研究者たちも,聴衆のことを考えて,英語で発表されることが多いようです。
 発表のカテゴリーは,総会,口頭発表セッション,ポスター発表セッション(左写真参照)の三つがあります。総会はテーマ【変化,挑戦,責任】に沿った研究を発表する場で,主催者側がプログラムと発表者を決めてご招待するのが一般的です。一般の発表者は後の二つのいずれかを選ぶのですが,IGUではこの二つを全くの同格に扱っています。
 セッションを仕切る座長の判断で若干異なりますが,口頭発表ならば1発表あたり20分から30分くらい。セッションは3組か4組の発表で構成されていて,発表終了後は聴講者も入り質疑応答や意見交換を行います。ポスター発表の場合は,常時ポスターを掲示しつつ,指定されたコアタイムにポスター前で説明することになります。

 さて,IGUでの発表は,発表したいと思った人の全てが発表できる訳ではありません。発表希望者は発表予定内容の英文要約,A4で1頁の600単語程度のものを,大会事務局へインターネット経由で提出します。
 当然ながら,英文要約は自分で書き上げ,英作文が上手く専門的知識も豊かなベルギー人の後輩,コルナトウスキ・ヒェラルド博士にチェックしてもらいました。今回の要約提出の締め切りは,2014年1月末でした。
 こうした要約はレフリーによる審査を受けて,締め切りの1ヶ月後くらいに,「受諾(acceptance)」か「拒絶(rejection)」かの通知が大会事務局からあります。受諾されれば,発表できますが,毎年,少なからぬ発表希望者が拒絶されます。幸いにも,私はまだ拒絶された経験はありません。右は,私が提出して審査を経てネット公開された要約の1頁です。
 IGUには30を超えるテーマ別の委員会(commission)があるのですが,発表希望者は要約提出時に,どの委員会での発表を希望するのかも明記します。
 私の場合は,いつもUrban Commission: Urban Challenges in a Complex World(都市委員会:複雑世界における都市の挑戦)か,Geography of Tourism, Leisure, and Global Change(ツーリズム・レジャー・グローバルな変化の地理学)か,どちらかで迷います。昨年の京都では前者で発表して座長も務めさせてもらいましたが,今年のクラクフではやはり国際観光学部所属の教員なので後者を選びました。

 その後,大会参加費を納付すると発表する権利が確定,主催者側が大会プログラムを組み,ネット上でプログラムと各発表の英文要約が公開され,発表者にもメールで通知が来ます。
 今回の私の発表は,不幸なことに,学会最終日8月22日(金)の朝9時から10時45分までセッションとなりました。心理的には早めに学会発表が終わり,学会そのものやクラクフの街を楽しみたいのですが,発表用のパワーポイント(左参照)の作り込みなど,最終日の午前まで緊張が持続しました。
 セッション名は【ツーリズム・レジャー・グローバルな変化の地理学】,サブタイトルにTourism and Regional Development (Tourism Development in Asia)【ツーリズムと地域発展(アジアにおけるツーリズムの発展)】が付けられ,私を含めて3名の発表者が並びました。私がトップバッターで,二人目は首都大学東京の杉本興運先生,三人目は北九州にある国際東アジア研究センターの戴二彪先生でした。お二人とは面識こそありませんでしたが,同業なのでお名前は存じ上げていました。
 最終日の朝一番で,前日の8月21日(木)夜に大会事務局主催の歓迎祝賀会があったこともあってか,聴講者は少なく,発表者と座長を含めて10数名でした。

 観光マネジメントがご専門の座長のTim Coles先生は,イギリスのエクセター大学(Exeter University)の教授で,英語のネイティブでしたが,わかり易い言葉を選び,ゆっくり丁寧にご説明してくださる優しい方でした。Coles座長の提案で,「発表時間は基本的に20分から25分,質疑も含めて30分で終わりましょう」ということになりました。写真は戴先生のプレゼン風景,座って見てらっしゃるのがColes教授。
 私の発表タイトルは,Inner city rejuvenation and international tourism: A comparative study of Tokyo, Yokohama, and Osaka in Japan【インナーシティの再生と国際観光:日本の東京・横浜・大阪の比較研究】でした。東京の山谷,横浜の寿,大阪の釜ヶ崎という三大寄せ場の最近の変容について,比較研究を通して類似点や相違点,それらが生じた背景や将来展望などを語り,いずれの事例でも,国際観光の振興がインナーシティの再生につながっている,との結論です。

 事前に準備したのは,スライド16枚のパワーポイントのみ,今回は英文原稿を作成しないで,プレゼンテーションに臨みました。用意した原稿を読み上げるよりも,アドリブで語った方が,説得力を持つのではないか,という判断からでした。日本語で発表する際,私は原稿など用意しません。
 結果,何度も言葉につまり,頭が真っ白になりかけたものの,主張したかったことは,何とか勢いで言い切れました。
 発表終了後,「東京オリンピックに向けて,東京は何か,宿泊施設を増やす戦略を持っているのか」などの質問が出ました。
 私は,「具体的な戦略については知らない。しかし,東京も大阪も,宿泊施設の稼働率が現在でも高く,年平均で90%を超えるところもある。LCCも,飛行機やパイロットが不足して困っている。日本の国際観光のボトルネックが,飛行機による輸送能力と宿泊施設の収容能力にあることは明らかだ。東京も大阪も,観光庁も,2020東京オリンピックに向けて,強いプレッシャーを感じているはずだ。」という趣旨で答えました。聴講者が少なかった分,かえって内容の濃い討論ができたかもしれません。

驚くべき伝統の会場校・ヤギェウォ大学

 IGU 2014クラクフの会場校は,ヤギェウォ大学(Jagiellonian University)でしたが,これが驚くべき伝統を持つヨーロッパ屈指の大学でした。2014年が何と大学創立650周年記念で,IGU 2014クラクフもその一環としてポーランド地理学会が誘致したそうです。
 創立年次の1364年は,日本史で言うなら室町の南北朝時代,能楽の祖とされる観阿弥や世阿弥が生きていた頃にあたります。
 IGU 2013京都での歓迎祝賀会(gala dinner)にて,ヤギェウォ大学出身のポーランド人地理学者が同じテーブルに座ったのですが,その方に「あなたの大学を卒業した有名な学者は誰ですか?」と尋ねると,返ってきた答えは「ミコワィ・コペーニク」でした。
 この耳慣れない単語に首をかしげると,彼は「コペーニクはヒーリォセントリックなシステムを主張しました。」と続けました。この「ヒーリォセントリック(heliocentric)」も私の語彙のなかになく,再び首をかしげると…。「太陽が地球のまわりを回っている。それは事実ではない。地球が太陽のまわりを回っている。彼はそう主張した。」とのこと。

 そこまで伺い,隣にいた日本人の後輩と顔を見合わせ,「それって,地動説…。ほんならニコラス・コペルニクスかいな。」と驚愕したことを覚えています。ポーランド語の発音だと,ミコワィ・コペーニクとなるとのことでした。
 この他,人類学屈指の大物マリノフスキはクラクフ出身で,ヤギェウォ大学にて理系の数学などを学んだ後,人類学に関心を持ち,イギリスへ留学したとのことでした。
 ヤギェウォ大学はもともと,世界文化遺産に登録されているクラクフ歴史地区の一角にありましたが,現在そこは博物館となっていました。IGU 2014クラクフの期間中は,そこでヤギェウォ大学やポーランド地理学会の歴史が,広く一般観光客にも展示公開されていました。大会会場となったのはこの博物館ではなく,クラクフ市街地の西南郊外に新しく出来たキャンパスでした。

観光拠点としてのクラクフ

 ポーランドの古都クラクフは,旧市街地が世界文化遺産「クラクフ歴史地区(1978年登録)」として登録されています。左写真はクラクフ歴史地区のヴァヴェル城内の王宮。
 これに加えて,クラクフの郊外,車で30分くらいのところに世界文化遺産「ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群(1978年登録・2013年拡大)」,同じく1時間半くらいのところに「アウシュヴィッツ・ビルケナウ:ナチスドイツの強制・絶滅収容所【1940−1945年】(1979年登録)」,クラクフから日帰り観光できる距離に,「マウォポルスカ南部の木造聖堂群(2003年登録)」もあります。
 たいていの観光客はクラクフに数日間滞在して,これら四つの世界文化遺産のいくつかを巡ります。クラクフ市内には宿泊施設が数多くあり,夜遅くまで営業している飲食店も多く,滞在に適した魅力と環境が整っています。
 IGUに限らず,地理関係の学会では当たり前のことなのですが,主催者側が半日から数日間くらいの学術巡検(academic excursion)のプログラムを組み,参加者を募ります。IGUの大会は夏のバカンスシーズンに開催されるため,パートナーや家族を同伴して参加される方も多く,こうした巡検に参加することで,開催国や開催地域の地理認識を楽しみながら高められるようになっています。
 IGU 2014クラクフでは,大会参加費のなかに,クラクフ歴史地区とヴィエリチカ岩塩坑の巡検プログラムが含まれていました。また,大会会場内では常時,アウシュヴィッツ強制収容所や木造聖堂群へのオプションツアー参加が募集されていました。さらに学会事務局主催の歓迎祝賀会は,会場が世界文化遺産そのもの,ヴィエリチカ岩塩坑内のレストランで開催される,という力の入れようでした。

 私も学会主催の巡検の一環として,クラクフ歴史地区を見学し,ヴィエリチカ岩塩坑内の歓迎祝賀会へ出席し,学会参加の合間をぬって,アウシュヴィッツ強制収容所の視察へ行きました。木造聖堂群へも行きたかったのですが,さすがに時間が無く断念しました。
 クラクフ歴史地区の見どころは,ヴァヴェル城と中央広場周辺に集まっていて,とてもコンパクト。写真は中央広場の様子,アコーディオンの三重奏でクラッシックを演奏していました。
 大会でのセッションが終わると,大学院時代の先輩や仲間たちと,毎夜毎夜,この中央広場周辺へ繰り出して夕食をご一緒して,クラクフ歴史地区を楽しみました。個人的にはかつてのユダヤ人ゲットーや,ユダヤ教のシナゴーグが点在するカジミェシュ地区(Kazimierz),映画「シンドラーのリスト」の舞台となったシンドラーの工場跡などへも行きました。

 クラクフ歴史地区では,街なかを着地型で参加できるゴルフカートがいっぱい走っていたのが,とても印象に残っています。これに乗り込むと,イヤホーンが渡され,チャンネルを合わせて好きな言語を選択して,解説を聴きながら1時間くらいで街を回れます。
 コースは旧市街地の歴史地区を巡るコース,ユダヤ人ゲットーを巡るコース,映画「シンドラーのリスト」ゆかりのスポットを巡るコースなど複数ありました。解説言語は,英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語・ロシア語・日本語・韓国語・中国語・アラビア語の10ヶ国もあり,内容は全て同じものが同時進行で流れている,という感じでした。
 8月20日(水)は朝からホテルで募集していた着地型ツアーに加わり,アウシュヴィッツ強制収容所を視察しました。アウシュヴィッツ強制収容所そのものは,ナチスドイツによるホロコーストの狂気としか思えない実態を学ぶ博物館となっていました。

 積み上げられた女性の毛髪,義足や義手,丸眼鏡,住所や名前の書かれたカバン,さらにはガス室などなど。持ち主を失った遺物の堆積や,大量の人間を次から次へと,冷酷かつシステマティックに虐殺していった場所からは,絶望のなか殺されていった人々の叫び声が,発せられているような気がしました。
 アウシュヴィッツ強制収容所で,観光学の観点からとても興味深かったのは,20数名の観光客を引き連れて展示を解説して回るガイドの存在と,様々なチャンネルから来る観光客を入口で再編してガイドに預けるシステムでした。
 私は英語ガイドと一緒に歩いたのですが,彼はインカムに向かって,淡々とつぶやくように語りかけます。それがイヤホーンを通して静かに聞こえてくるのですが,壮絶な展示物や史実を前にして,そのひと言ひと言がとても重く響きました。

 さて,歓迎祝賀会で訪問したヴィエリチカ岩塩坑でも,アウシュヴィッツ強制収容所でも,バラバラに到着した個人や団体の観光客が,現地においてガイド付きのツアーへ再編される,という着地型のシステムが整備されていました。
 観光客は日本からの団体ツアー客であろうが,クラクフ市街地のホテルからピックアップされてきた個人客であろうが,どのようなチャンネルで到着しようとも,現地の入口で再編されます。クラクフ歴史地区のゴルフカートツアーも,参加するかどうかは別として,発想としては同じ着地型,予約しなくとも,その場で乗り込めます。
 このシステムが構築できていれば,発地でツアーを組むメリットはほとんどなくなり,個人観光客がノープランで来訪しても,上手く対応できます。欧米からの観光客は基本的に個人客なので,それを受け入れる観光地側の体制も,個人客に対応できる着地型で発展しています。大阪や日本の観光振興の将来を考えるうえで,学ぶべきことが多く,とても参考になります。

最高の雰囲気のなかで最高のポーランド料理を

 IGU 2014クラクフの歓迎祝賀会(gala dinner)は,8月21日(木)の午後5時から午後10時までという,異例の長さで予定されていました。会場はヴィエリチカ岩塩坑の地下125メートルにある会議場で,本格的なポーランド料理が提供されるとのこと。歓迎祝賀会の会場そのものが世界文化遺産,こんな絶好のチャンスを逃す訳にはいきません。
 21日夕方4時過ぎから,大会会場の駐車場にセッションを終えた人たちが三々五々集まり出し,大型バスでヴィエリチカ岩塩坑へと向かいました。到着すると,ヴィエリチカ岩塩坑の入口で少し待っている間に,いくつかのグループに分けられ,それぞれのグループに英語ガイドが1名ついて,グループごとにヴィエリチカ岩塩坑内へと入っていきました。
 入坑すると,しばらくの間,延々と続く階段を地下へ地下へと降りていきました。途中,いくつか気圧調節用の扉があり,岩塩を削り出して制作したモニュメントやお祈りの場なども,説明を受けながら通りました。
 通路は全て岩塩を穿って出来ていて,壁や天井をなめると,当然塩味がします。岩塩坑のなかは気温15度くらいで一定しているとのことでしたが,決して寒いほどではなく,歩いていると汗ばむくらいでした。

 歓迎祝賀会の会場は,ヴィエリチカ岩塩坑のおそらく最深部に相当するところにあり,天井が高く,レリーフが施された岩塩の壁で囲まれた広めの体育館くらいの空間でした。一般の観光客は,我々が向かった会場を遠巻きに写真撮影し,エレベーターに乗って地上へと帰っていました。
 9人がけのテーブルが36卓,中2階のテーブル席も80席近くあったのですが,全て満席,ざっと400名くらいが,歓迎祝賀会を一緒に楽しめました。
 私たちのグループは一番早く会場入りしたので,私も含めて仲の良い日本人の先輩や後輩らと,真ん中あたりの一番端っこのテーブルをひとつおさえて座っていました。
 その後,次々と別のグループが到着して,テーブルの大半がうまりかけた頃,IGU前会長のロナルド・アブラー教授が,私たちのテーブルの横を通り過ぎられようとしました。私はアブラー教授のことを当然ながら知っているので,言葉はかけずに会釈すると,アブラー教授から近寄って来られ,「この席は空いていますか?」と確認して,私の隣の席に座られました。

 そしてアブラー教授は着席されるなり,「あなたの名前はYoshiでしたよね。」と声をかけて握手してくださりました。実は,ドイツのケルンでも,日本の京都でも,過去二年連続で歓迎祝賀会の際,私は恩師の石川義孝・京都大学教授とご一緒して,アブラー教授のもとへご挨拶に伺わせていただきました。石川教授のファーストネームがYoshiなので,「私の名前もYoshiです。Little Yoshiです。」と自己紹介していたのを覚えてくださっていたのです。記念撮影もさせていただきました。前会長のアブラー教授が同席されたので,私たちのテーブルには,現役のIGU役員や著名な先生方が,次から次へとご挨拶に来られるところとなりました。
 さて,私はIGU 2013京都のアウトリーチ委員だったので,少し意識して各テーブルを巡り,IGU 2013京都にお越しいただき顔見知りになった方々に,お礼とご挨拶をして回りながら,世界各国の地理学者と交流を深めました。IGUの歓迎祝賀会の雰囲気はとてもカジュアルで,上も下も,右も左も,西も東も関係なく,交流を深められる貴重な場なので,私は大好きです。なかでも,今回の歓迎祝賀会は,雰囲気も料理も最高で特筆に値するものでした。ホスピタリティ溢れるポーランド地理学会のみなさまと,得がたい経験をさせていただいたクラクフの世界遺産に,心より感謝いたします。