私たちの想いのこもったマップがようやくできた!!

 2012年3月29日(木),大阪商工会議所と松村ゼミとの協働で作成を進めてきた「新世界・西成 食べ歩きMAP」(以下,新世界・西成マップ)がようやく完成,印刷屋さんから新今宮TICへ大量に届けられました。新世界・西成マップは表が日本語版で,裏が英語版,いずれの版でも右下に,阪南大学のロゴマークと「〈編集・制作協力〉 新今宮観光インフォメーションセンター 阪南大学国際観光学部松村嘉久研究室」という内容が,しっかりと印刷されています。
 新世界・西成マップの作成協力は,2011年6月9日(木),大阪商工会議所(以下,大商)の方々を阪南大学南キャンパスに迎えての合同会議から始まりました。それから実に7ヶ月もの長い時間がかかりましたが,その間の取り組みを語りたいと思います。
 新世界・西成マップの作成で最初の課題となったのは,どの飲食店を掲載するのか,ということでした。新世界から西成にかけては,飲食店が200軒以上もあります。ところが,マップの紙面は限られているので,掲載する飲食店の数も当然限られてきます。マップはまち歩きでも利用できるものにしたかったので,見やすいよう大きめのスペースを確保したい…,そこで,スペースから逆算したところ,掲載できる飲食店数は30から50店舗くらいが限界,ということになりました。

より良いマップを作るため会議と取材を重ねる!!

 新今宮TICとしては,窓口で利用者からの問い合わせ実績のある飲食店,新今宮TICスタッフがよく利用する地域の名店の他,まちづくりの観点から,応援したい飲食店や掲載したい地域情報などを,ぜひ盛り込めるようにして欲しい,と大商側にお願いしました。一方,大商は会員企業に呼びかけて掲載希望店舗を募り,新今宮TIC推奨の店舗との間で調整することになり,新世界・西成マップづくりは始まりました。
 2011年6月以降,何度も大商との会議を重ね,掲載予定店舗を30数店舗に絞り込みました。松村ゼミは夏季休暇中の新今宮TICの毎日運営を活用して,その30数店舗へ取材に行き,日本語と英語のコンテンツ作成することを引き受けました。各店舗の写真も松村ゼミが撮影することになりました。松村先生からは,「必ず掲載予定のお店へ行き,実際に飲み食いして,お店の雰囲気を体験してから書きなさい」との指示が出されました。

 2011年の夏休み,新今宮TICのスタッフは手分けして,昼食休憩やアフター4を利用して,掲載予定の飲食店へ取材に向かいました。9月半ばから,仕上がったコンテンツを持って,大商と手分けして,各飲食店へチェックを依頼して回り,修正意見などを再度集めました。並行して進めたコンテンツの英訳では,海外長期留学から帰国した昌山志保と井上咲季が,2011年9月から戦力に加わり活躍してくれました。
 コンテンツ取材で大変だったのは,いつもお客がいっぱいで,とても忙しくてなかなか相手にしてもらえないお店,夕方か夜からしか開かないお店でした。規模の大きな飲食店では,経営者に掲載・取材依頼してOKをいただいていても,現場の人にそのことが伝わっておらず,思うように取材が進まないこともたびたびありました。
 新今宮TIC毎日運営の終わる2011年9月25日(日)は,夏季休暇が終わる日でもありました。この日までに,掲載予定店舗のコンテンツ作成は,あと数店舗を残すのみとなっていました。ところが,夏休みの終わった9月末以降,松村先生は大学や学会の仕事で,ゼミ生のみんなは授業のほか,日本観光研究学会やキャンパスベンチャーブランプリ大阪2011の準備など,いわば本業で超多忙な日々が続きました。2011年10月,11月,12月,翌2012年1月は,本業のかたわら新今宮TICの土日運営を維持するのが精一杯で,新世界・西成マップを作成する余力が全くない状態が続きました。

コンテンツが形になる喜び

 新今宮・西成マップ作成が再起動できたのは,2月初旬,後期試験が終わってからのことでした。卒業した8代目の先輩方も含めて,松村ゼミ総動員でコンテンツを何とか仕上げ,2012年2月15日(水),印刷業者も入り大商との合同会議を新今宮で持ちました。大商とはすでに何度も詰めていた話でしたが,ここで初めて印刷業者に,新世界・西成マップの出来上がりのイメージや折り方の提案などが伝えられました。
 2月下旬,私たちの作成したコンテンツがプロの印刷業者の技術で,レイアウトされ試し刷りされて,私たちの手元に帰ってきました。ゼミ生みんなでそれをまわし見たのですが,個々別々なコンテンツが1枚の地図として,綺麗に見やすく並べ替えられていて,「やったー,ええ感じやん!!」と喜びました。ところが,松村先生は「確かに,ええねんけど…,うーん,微妙にちゃうねんなあ…」と頭を抱え込まれました。

 地図上の店舗の位置が微妙にずれていたり,実際はない道路があったり,ある道路がなかったり,地図上で情報量の多いところと少ないところのバランスが悪かったり…細かいところが気になられたようです。確かに,みんなでよく見直して意見を出し合うと,文字が小さく見にくいなど,色々と問題点が浮かんできました。
 「地図を見ながら歩く人が迷ったらアカンからなあ…,地図を書いたデザイナーは,現場の細かいことは知りはれへんからなあ。微妙にちゃうねん…。」 松村先生によると,この微妙なニュアンスを伝えるのがとても大変な作業だとのことでした。電話で伝えるのも大変,文字で伝えるのはもっと大変…。そこで,2012年3月1日(木)午後,松村先生と和田昂之が二人で印刷業者の事務所へ行き,担当デザイナーと直接会って,微妙な修正や調整のイメージを伝えることになりました。

 松村先生からは細かい微妙な修正とともに,実にザクッとした「ここはこんな風な感じで…」というイメージが伝えられ,それを担当デザイナーは,真剣に聞いてメモを取られ,時々,松村先生へ確認や質問もされていました。帰途,松村先生は「あのデザイナーはセンスええわ,大丈夫や。印刷は…機械がすんねんけど,デザインは人間がすんねん…。大事なんはデザイン。特に地図は正確さも必要やし,見やすいようイメージを形にしてまとめんのが難しいねん。」とおっしゃっていました。
 最初の試し刷りは,掲載店舗にもチェックしてもらいました。このチェックと松村先生からの修正依頼を反映させた第二次の試し刷りが,3月16日(金)に私たちの手に届きました。担当デザイナーが頑張ってくれたこともあり,全体的な印象として,最初の試し刷りよりも,ずっと見やすく正確なものになっていて,私たちにとっては,とても嬉しい驚きとなりました。あとは,微調整を残すのみ。
 3月19日(月)の卒業式の当日,松村先生のところには,印刷業者からまさにこれからこれを印刷する…という新世界・西成マップの見本が届いていました。卒業式を終え南キャンパスに帰ってきた8代目ゼミ生の前で,松村先生はそのマップの見本を誇らしげに見せ,「これは君らの代の仕事や,さっき最後のチェックをすませた。このマップは後輩たちへのいい置き土産やし,地域も待望していたもんや…」と,感慨深げにお話しされていました。何かにつけて多忙な松村ゼミではよくあることなのですが,これを逃すとシャレにならない…,というギリギリのタイミングで色々な成果が形になります。

松村先生からの長めのひと言

 3月29日(木)に納品された新世界・西成マップは,納品された翌30日から,地域のゲストハウスで配布が始まっています。当然,新今宮TICでも配布しています。
 新今宮界隈のゲストハウスには,外国人旅行者だけでなく,日本人観光客や就職活動の若者も泊まっています。そうした人たちが,私たちの作ったマップを見て,地域のお店へ行って美味しいものを食べ,旅の思い出をつくり明日への活力を養ってくれれば…,と私たちは願っています。
 先日,通天閣観光の西上雅章社長のところへ伺いお願いして,通天閣のなかでも配布が始まりました。西上社長とは,新世界・西成芸能祭(仮称)についても,意見交換を行いました(写真:西上社長と)。西上社長も,エンターテイメントが新世界の柱の一つである,繁華街はかやく御飯のように色々な具がある方が面白い,と認識されていて,私たちの趣旨に深い理解を示していただきました。

 さて,松村ゼミと新今宮地域の商店との連携が始まったのは,2007年夏くらい,人材揃いの4代目が4年生の頃でした。当時,新今宮地域では外国人旅行者の宿泊が急増しつつありました。外国人旅行者が地域の商店で飲食や買物をするようになれば,必ず地域の活性化につながる…。そのような想いから,4代目ゼミ長の西村克也君(2007年度卒)らが先頭に立って,地域の個々の商店へ伺い,「ぜひ外国人旅行者も受け入れてください,そのための環境づくりをお手伝いします」と働きかけました。

 その頃から,外国人向けのグルメマップを作ろう,という企画はありました。しかしながら,当時の松村ゼミの地域への密着度はまだまだ浅く,ゼミ生たちの地域への愛着も現在ほどではなく,地域側の機運も熟していない状況でした。その証拠というわけではないのですが,例えば,4代目の卒業懇親会は,新今宮ではなく,私の地元・塚本の「キッチン喜多村」(写真参照)で行いました。その後,5代目が卒業間近の2009年1月末から,新今宮TICの試験的運営が始まり,5代目が卒業した後の2009年7月から,6代目と7代目が活躍して常設運営を軌道に乗せました。新今宮TICが地域で確固たる存在として根付くことで,松村ゼミと地域との相互作用は飛躍的に高まり,地域への愛着も深まりました。7代目(2010年度卒)の卒業懇親会は大阪市大の西成プラザで行い,卒業生全員が新今宮のゲストハウスに泊まり,2次会は地域のお店に散らばり,OBやOGたちも駆けつけました。
 ここに一枚の奇跡の写真があります。2007年12月20日(木)撮影。この日は4代目の卒業論文提出締切日で,夕方から懇親会が開かれました。この写真には,4代目(西村克也),5代目(西川菜摘),6代目(山田裕也),7代目(佐藤有)と,歴代のゼミ長が映っています。その後,7代目は8代目を,8代目は9代目を育て,ともに10代目を可愛がり,松村ゼミの現在があります。
 私は競技経験こそ全くないのですが,ラグビーが大好きです。一つのボールをみんなで少しでも前へ進めようとする…,先頭でボールを持っている仲間が前進をとめられたら,後ろの仲間にボールを渡してさらに前を目指す…。地域と関わるゼミ活動も,ラグビーのようにあるべきです。地域と関わりボールを前に進める想いをみんなで共有して,できなかったことを代々引き継ぎながら,一歩一歩前進していく。
 歴代松村ゼミの新今宮地域での社会的実践の積み重ねがあったから,この新今宮・西成マップが完成したことは言うまでもありません。教員冥利に尽きるのは,そのことを卒業した8代目も現役ゼミ生らも,実によく理解していて,先輩たちに敬意を払い感謝しつつ,後輩たちへつなごうとしていることです。