東京山谷・横浜寿町でのフィールドワーク(2010年8月10日から8月14日まで)

2010年度から始まった科学研究費でのフィールドワーク

 2010年度から2012年度までの3年計画で,松村単独で科学研究費補助金の基盤研究(C)(一般)を獲得しました。研究課題名は「国際観光振興によるインナーシティの再生に関する人文地理学的研究」(課題番号:22520810)で,初年度は大阪釜ヶ崎・東京山谷・横浜寿町の国際観光への対応の現状を比較検討する予定です。大阪釜ヶ崎での国際観光への対応は,日々の新今宮TICの運営活動のかたわら,最新情報が常に入ってきます。というより,我々の活動そのものが,国際観光対応の最前線と言えます。
 今回のフィールドワークでは,東京山谷と横浜寿町での国際観光対応への現状を,ざっと自分の足で歩いて目で見て確認してきました。2010年4月から,両地域の住宅地図を購入して簡宿の分布を確認し,両地域に関する新聞情報や論文などを読み進め,フィールドワークの準備を行ってきました。
 フィールドワークで何よりも大事なのは事前の準備です。地域の現状を把握するためには,フィールドへ行く前に,どこに行って何を見て,誰からどのような話を聞けばいいのか,それを徹底的に検討しておく必要があります。(右写真:荒川区側から台東区を臨む「泪橋」交差点,墨田区に建設中の東京スカイツリーも見える)

東京山谷と横浜寿町との出会い

 東京山谷を初めて歩いたのは確か1987年のことでした。中国旅行から成田へ飛行機で帰国して,東京都港区の伯母の家に数日ほど泊めてもらい,その間に半日ほど歩きました。その後,東京へ行く機会があり,時間が空けば,山谷にはよく立ち寄るようになりました。最近は東京で学会が行われるたび,山谷を歩いていたので,ここ数年の変化も,おおよそは把握できています。
 一方,横浜寿町は実に久しぶりの訪問となりました。私が最初に寿町を訪問したのは,山谷よりも前,確か大阪市立大学の2回生だった1985年だったと記憶しています。当時,大阪市立大学文学部の社会学教室に「社会病理学」の大藪寿一先生がおられ,夏休みに横浜寿町での調査実習がありました。私は文学部の地理学教室に所属していましたが,この実習に是非とも参加したかったので,大藪先生に直接お願いして,「では勝手で来てください」ということになり,現地で合流・参加・解散の遊軍という形で加えていただきました。この頃の寿町にはまだ若く元気な日雇い労働者がたくさんいて,聞き取り調査をお願いしているにも関わらず,「暑いのに大変だね,学生さんも。」とジュースやアイスを何度もおごってもらったことを覚えています。その後は院生時代の1990年代の半ばに,地理学教室の秋巡検の前か後に,数時間歩いた程度でした。(右写真:寿町の核心部を臨む)

帰山哲男さんの案内で山谷を歩く

 今回,城北旅館組合の広報担当でエコノミーホテル「ほていや」経営者でもある帰山哲男さんの案内で,山谷での国際観光への対応や新たな動きをフィールドワークして回りました。帰山哲男さんは山谷でいち早く外国人旅行者の受け入れに踏み切り,その後の外国人旅行者誘致への動きをけん引してこられた人物なので,私にとっては最高の案内者(右写真)。帰山さんのお名前はよく存じていましたが,直接の面識は無かったので,ホテル中央グループの山田英範さんにご紹介いただきました。
 帰山さんの案内で,「エコノミーホテルほていや」,「ドームホステルえびすや」,「KANGAROO HOTEL」,「ホテルひかり」の施設内部を見学させていただき,道を歩きながら地域の現状を解説していただきました。
 今回の山谷フィールドワークでは,山谷と関わりの深い台東区の文化産業観光部や保健福祉部の職員の方々とも,意見交換させていただきました。台東区役所の方々は,山谷地区の観光対応への変容を促そうと,一生懸命取り組まれていました。東京都の場合は,行政の対応が,地域問題により密接に関わり,地域の実態を把握している区役所レベルでのものが中心となるので,大阪市よりも施策がきめ細やかな印象を受けました。
 残念ながら,直接会うことはできませんでしたが,山谷で色々な活動を展開している「結Yui」という任意団体の代表・義平真心さんとも連絡がとれました。義平さんとは台湾・香港のホームレス事情を一緒に視察した旧知の間柄,次の機会にじっくりと情報交換する予定です。

アポなしで夏祭りの寿町を歩く

 今回のフィールドワークはわずか4泊5日の日程で,寿町にはあまり時間を割く余裕がありませんでした。そこで寿町に関しては,横浜市立中央図書館での資料調べを中心として,フィールドワークはごく簡単に下見がてら行う予定を立て,特にアポもとらずに向かいました。
 事前調査で,NPO法人「さなぎ達」や「横浜ホステルビレッジ」が活躍されていることがわかったので,その活動場所を確認しがてら,寿町の街なかを3時間ほど歩き回りました。途中で「横浜ホステルビレッジ」に立ち寄り,そこのスタッフに「今回は本当に簡単な視察なので,また改めて訪問させていただきます…」と名刺だけ置いてきました。(右写真:「横浜ホステルビレッジ」の外観)
 横浜市立中央図書館は快適で横浜に関する蔵書も豊富。まる1日かけて,古い住宅地図の寿町のところをコピーして,昔の横浜市議会の資料などを閲覧しました。

フィールドワークでの記録写真 東京山谷にて

  • 土手通りに「吉原大門」交差点があり,その西側が吉原遊郭(台東区千束4丁目界隈)で東側が山谷地区

  • 吉原の遊女が葬られている浄閑寺(荒川区)は通称「投込寺」とも呼ばれる

  • 「泪橋」交差点を境に荒川区と台東区に跨る山谷地区:荒川区南千住にも昔ながらの簡宿が残る

  • 南千住の簡宿:外観からは3階建てに見えるが,実は2階建て

  • 帰山さんが経営する「ほていや」の外観:隣の喫茶店「バッハ」は知る人ぞ知る名店,自家焙煎のブレンドコーヒーは実に美味い

  • 「ほていや」のフロント:昔ながらの簡宿と同じく開くのは午後4時から午後10まで

  • 1泊2,700円の「ほていや」の和室:簡宿の基本フォーマットで3畳弱,テレビ・エアコン・冷蔵庫付き

  • 「ほていや」の大浴場:バス・トイレは共同,現在トイレを改装する計画があるとのこと

  • 帰山さんの経営するもう一つの簡宿「えびすや」外観:一見すると普通の民家のように見える

  • ベットハウスと呼ばれる形式のドミトリー(1泊1,500円):この形式は帰山さんのお父様が考案されたとのこと

  • デザイナーズゲストハウス「KANGAROO HOTEL」の外観:山谷の新しい動きのひとつ,コンクリート打ちっぱなしのお洒落な建物

  • コンクリート製の横長の2段ベットの4人部屋:女性の少人数のグループ旅行者は喜びそう,建物の随所にお洒落感がただよう

  • 楽天トラベルでも人気の「ホテルヒカリ」からの風景:遠くに富士山がくっきりと見えた

  • 蔦や樹木で覆われたとてもエコロジーで斬新な簡宿:毎日がキャンプ生活のよう?! 夏場は涼しい?!

フィールドワークの記録 横浜寿町について

  • 寿公園(中区寿町三丁目):寿町は釜ヶ崎以上に地理的にコンパクトで,交通アクセスも良く,観光地や繁華街も近い        

  • 野宿者対策で配布される宿泊券で泊れるところもあれば,外国人旅行者の受入れに踏み切るところも増えつつある

  • 1953(昭和28)年の寿町界隈:進駐軍のカマボコ兵舎などがあり,地図上は真っ白

  • 1959(昭和34)年の住宅地図:空き地らしいところがまだ多いが,公共職業安定所を中心として簡宿が立ち並ぶ