河内長野市が市内の文化財を公開する「ぐるっとまちじゅう博物館」は平成15年(2003)から始まり、今年で11回目となります。国際観光学部では2009年から学生がボランティアスタッフとしてイベントを手伝ってきました。2010年と2011年には烏帽子形城模擬合戦、2012年には寺ヶ池提灯測量実験と、イベントの一環として開催された子どもたちの体験教育活動を支えました。そして2013年度は「コンニャク作り体験」イベントが行われ、1回生たちが子どもたちの体験をサポートしました。一方、観心寺・河合寺・山本家住宅・延命寺など、川上地区の寺院や民家で貴重な文化財が特別公開され、ゼミの学生たちが案内を手伝いました。活動に参加した学生は4回生の泉田真美子さん・今福義明君・井本有亮君・北山亜純さん・孔シュさん・河野充宏君、3回生の植林明日香さん・王欣さん・高飛娜さん・ラッターナアムポン=ターウィトリーさん・呂媛媛さん、2回生の掛尾敦史君、1回生の北林佳奈さん・佐竹優也君・手塚夏紀さん・濱田光里さん・吉本慎也君の17名です。以下、学生たちの報告記事を綴ります。

※なお、この学生教育研究活動は阪南大学学会の補助を受けています。

文化財のガイドに挑戦しました
国際観光学部3回生 植林明日香

 11月21日(木)から24日(日)までの4日間、河内長野市ふるさと文化課が開催した「ぐるっとまちじゅう博物館2013」にボランティアスタッフとして参加しました。河合寺・観心寺・山本家住宅・延命寺など、川上地区に4ヵ所の会場が設けられました。私は21日に観心寺、22日に山本家住宅の特別公開を手伝いました。現地の観光ボランティアガイドの方に教わり、ガイドの体験もさせていただきました。観心寺では寺宝を収めた霊宝館の案内を担当しました。霊宝館についてよくご存じのガイドがおられましたので、その方に必要な知識を教えていただき、来場者への案内を試みました。普段は見られない国の重要文化財である「中尊寺経」が霊宝館に展示され、多くの人々が興味を持って見学していました。「中尊寺経」は岩手県平泉の中尊寺で書写された経典で、伊達政宗が高野山に1200巻を持って行く途中、観心寺に立ち寄り、200巻を置いていったそうです。それを観心寺が大切に保管してきました。残りの1000巻も高野山に現存し、国宝に指定されています。一方、本家本元の中尊寺には10巻あまりしか残っていませんが、やはり国宝に指定されています。「中尊寺経」は平安時代に書写され、17字を1行として、金字と銀字を交互に書き分けています。紙の表面には漆が塗られ、非常に品質の高い経本です。奥州藤原氏の経済力を象徴する品であることを、ガイドの方に教えていただきました。「中尊寺経」に見入っている方に、私も勇気を出してお声掛けしました。教えていただいたことを踏まえて解説に挑戦したのです。頭では分かっていても、わかりやすく説明するのは難しく、何を聞かれても、すぐに答えて納得させるガイドの方々の実力を改めて実感することになったのです。また、私自身も展示されていた仏像について、あれこれと教えていただき、本当に勉強になった一日でした。知識を持っていても、人に伝えることは難しい。そういう技術は場数を踏んで身につけてゆくのでしょうか。とにかく、今の自分がまだまだ経験不足であることを痛感しました。

 22日の山本家住宅では、ふるさと文化課の職員から現地ボランティアの方々と共にガイダンスを受けました。山本家住宅は江戸時代の初期に建てられ、河内地方の民家建築を良好に残す建物として河内長野市の重要文化財に指定されています。四方に軒を突き出す大きな茅葺屋根と部屋を「田」の字形に配した間取りが特徴的です。普段は公開されていませんが、市役所にたくさんの問い合わせがあるそうです。この日は山本家住宅の室内で専門職員による講義が開催されたこともあり、多くの人が来場されました。残念ながら、私は外での案内を担当していたため、講義を聞くことができませんでしたが、帰る人たちの表情は満足そうで、わざわざ「すごく良かった」と私にも声をかけて下さいました。同時に「寒いなか、ご苦労さま」と、ねぎらいの言葉をかけていただき、本当に寒い日でしたが、心温まる思いで帰路につけました。充実した2日間でした。

感動的な体験をしました
国際観光学部3回生 呂媛媛

 10月から来村ゼミに入り、最初の活動でした。ぐるっとまちじゅう博物館のイベントは10月21日から24日までの4日続きましたが、私はそのうち後半の23日(土)と24日(日)に参加させていただきました。活動に先立って、「報告記事を書きなさい」と、先生から指導を受けましたが、日本語は難しく、書き慣れていませんので、不安でした。ただ、もともと歴史に興味がありますので、日本の古いお寺で活動できることに興味をもって当日を待ちました。23日は観心寺で案内を手伝うということで、4回生の今福義明先輩と河内長野駅で待ち合わせ、現地に向かいました。私一人ならば、必ず迷ったことでしょうが、先輩に助けられ、目的地にたどり着けました。河内長野市のことは何も知りませんでしたので、現場に着くまでは、山の中の小さなお寺だと思っていたのですが、実に立派で美しい寺院に驚きました。あとでわかりましたが、観心寺は非常に有名なお寺であるとのことでした。
 仕事が始まると、私は山門の前でチラシを配ることを任されました。バスの時間も案内しました。来場者が「ありがとう」と言ってくれるのがすごく嬉しく、役に立てることに充実感を覚えました。「阪南大学の学生ですか」「留学生なのに、こんな活動をしているの」「本当によく動きますね」と、尋ねられたり、驚かれたり、感心されたり、とにかく声をかけてくださることが嬉しく、もっと頑張ろうという気になりました。昼休みの時間を利用して、私も境内を見て回りました。境内は木々に包まれて紅葉が美しく、静かです。たまったストレスが消えてゆくような気になります。貴重な文化財と美しい紅葉の景色を楽しもうと、一組の老夫婦が訪ねてこられました。奥さんは足が不自由で車椅子に座り、ご主人は言葉がはっきりと言えない障碍を抱えておられました。山門前の道路には細かい石が敷き詰められ、車椅子が思うように動きません、境内には坂もあります。そこで私は心あるお客さんと2人で車椅子を押して差し上げました。そのうち奥さんが泣き始め、「ありがとうね、参拝できるのも最後かもしれません。本当にありがとうね」と言い出されました。ご主人は90度のお辞儀をして、不自由な言葉で「ありがとう」と言ってくださいました。感動して涙が出ました。日本に来て、こういう満たされた気持ちになれるとは思いませんでした。

 24日は河内長野駅から比較的近い延命寺で案内を手伝いました。天気が良かったので、歩いて行きました。ここでは悲しい言葉に心が動かされました。ひとりのおじいさんが声をかけてきたのです。「この近所に住んでいて、毎日参拝に来るのだが、もうすぐあの世へ行くので、お金を預かってくれるか」という冗談でした。こんどは心が苦しくて何も言えませんでした。こういう案内をしていると、本当に色々な人に出会い、人生の経験も積めます。貴重な活動ができたことに心から感謝をしています。

優しい人の心に触れました
国際観光学部3回生 ラッターナアムポン=ターウィトリー

 4日間のイベント期間中、私は2日間の活動をしました。1日目は河合寺で案内を手伝いました。これまでゼミ活動に参加してきましたが、いつもは仲間たちといっしょですので、頼ることもできたのですが、このたびは1人だけです。「ちゃんとたどり着けるだろうか」「日本語がうまく話せるだろうか」と、当日までにかなり緊張しました。河合寺は他のお寺よりは近くにあるそうですが、歩けば時間がかかるということで、河内長野駅からバスに乗って行きました。「河合寺」という名のバス停ですので、間違いはないはずなのに、バスに降りても寺らしきものはなく、山と田んぼしか見られませんでした。車はたくさん通りますが、歩いている人がいません。幸い田んぼでおじいさんが仕事をしていましたので、大声で聞きました。実はすぐ近くに寺の山門があったのです。少し安心して山門をくぐりましたが、寺の中には人影が見えません。早く着きすぎたのでしょうか。「勝手に入っちゃ駄目だよ」。奥に誰かいるかなと思い、上にあがろうとしたとき、後ろからそう声をかけられました。年老いた男性で、観光ボランティアの方でした。あとで聞くと、私を時間前に来たお客さんだと思われたそうです。
 その方はとても優しく、河合寺や仏教の由来を親切に教えてくれました。専門的な日本語はよくわかりませんでしたが、話の内容をまとめると、日本も母国のタイも仏教を信じる心は変わらないようです。日本の仏教は中国から伝わり、タイの仏教はインドから直接伝わったという違いくらいです。河合寺には文化財としての価値も高い仏像がまつられていますが、先代のご住職は亡くなるまで寺を一般公開されず、住職が変わって、このたび初めての公開となったようです。由緒あるお寺であるそうですが、まだあまり知られていないためか、訪れる人は多くありませんでした。今後は徐々に知られてゆくことでしょう。

 河合寺は自然豊かな長野公園に包まれています。参道の坂を登り詰めたところに河合寺の奥の院があります。ボランティアの方々に「行っておいで」と声をかけられ、見に行きました。境内はとてもきれいで、横に大きい銀杏があります。奥の院からさらに坂を登ると、展望台があります。山道は木に覆われ、地面にも苔がたくさん生えていましたので、滑りやすく危険を感じましたが、展望台まで行って帰ってきました。戻ってきたら、ちょうど12時でしたので、昼食にしました。食事のときに、ご住職の奥さんと話をすることができました。とても優しくて、「こんど家に遊びに来てね」と誘われました。終了後も駅まで送って下さいました。2日目の観心寺では、小学6年生によるボランティア活動がありました。グループに分かれて寺を案内したり、クイズを出したりと、本当によく勉強しています。私にも説明をしてくれました。日本語がわからず、半分くらいしか理解できませんでしたが、子どもたちの熱心さは十分に感じ、子どもたちを現場で学習させる市の取り組みのすばらしさに、改めて感心しました。

元気な来場者に力をいただきました
国際観光学部2回生 掛尾敦史

 11月24日(日)に観心寺でボランティアスタッフとして活動をしました。河内長野市が主催する「ぐるっとまちじゅう博物館2013」イベントの最終日でした。文化財公開の場所は石見川に沿った川上地区で、河合寺・観心寺・山本家住宅・延命寺の4ヵ所です。私は観心寺の案内を担当しました。そこでは国の重要文化財である「中尊寺経」や登録有形文化財に指定された恩師講堂が特別公開され、夜には紅葉のライトアップなども催されるとあって、たくさんの人々が来場しました。パンフレットを配り、案内をすることが私の任務でしたが、まずは観心寺のことを勉強しなければなりません。仕事にとりかかる前に、「中尊寺経」や恩師講堂についての講義を受けました。「中尊寺経」は平安時代末に書写された経典で、奥州の文化を今に伝える遺品であるそうです。一種類の経典ではなく、平泉で書かれたいくつかの経典の総称です。長く中尊寺に宝蔵されていましたが、豊臣秀吉の命により高野山の金剛峯寺に持ち出され、その際、経典の一部が観心寺に分けられたそうです。とくに「紺紙金銀交書一切経」は、17字1行として、金字の行と銀字の行を交互に配しています。奥州藤原氏の経済力がどれほどのものであったのかを、このような贅沢な経典で知ることができました。
 恩師講堂は、昭和3年(1928)に行われた昭和天皇ご即位の大礼で、京都御苑に新設された饗宴場の一部が宮内庁によって観心寺に払い下げられたものです。屋根は入母屋造りでスレートが葺かれ、室内の床は板張りです。和風の細工がなされた天井には大きな洋風のシャンデリア3基がつり下げられ、和洋折衷の豪華な雰囲気が醸し出されています。「中尊寺経」も恩師講堂も、普段は公開しておらず、このたび特別に公開されたようです。そのように貴重な遺品や建物を間近で見ることができたのは幸運でした。

 一通り講義を聞いて大切なことがらを頭に入れたあとは、いよいよ案内を始めます。大きな山門に立って、参拝者にパンフレットを配ることが主な仕事ですが、お堂や文化財、トイレの位置などを尋ねられた場合は、わかるところまで引率して案内をします。時期は11月の下旬でしたので、紅葉も見ごろとなり、たくさんの人が観心寺にやって来られました。その日に観心寺で行われるイベントについても、よく聞かれました。ぐるっとまちじゅう博物館は参加者が市内の寺社や遺跡を歩いて回ることを想定して企画されていますが、今年は各会場がかなり離れており、観心寺の最寄りにある延命寺でさえ、3キロあまりの距離を歩き、山を越えて行かなければなりません。延命寺への行き方もよく尋ねられました。「そんなに長い距離を歩いて疲れませんか」とお尋ねすると、「いやいや、まだまだ大丈夫ですよ」と、頼もしく元気のいい言葉が返ってきます。文化財を訪ね歩く方々の活力に驚かされました。朝から夕方まで、ずっと立ち続けて案内をしましたので、さすがに終了間際には足の疲れと痛みを感じましたが、訪れる人たちの元気な様子に励まされて、なんとか最後まで任務を続けることができました。

お餅のようなコンニャクができました
国際観光学部1回生 濱田光里

 11月23日(土)に河内長野駅前の商店街で「コンニャクを作ろう!」という体験イベントが行われました。河内長野市が主催する「ぐるっとまちじゅう博物館2013」イベントの一環です。石見川をさかのぼったところに「行者湧水」というきれいな水が湧き、それを使った新鮮で美味しい「行者コンニャク」が地元の人々の手で作られています。その方々に学びながら子どもたちにコンニャク作りを体験させ、地元のよさを知ってもらうのがイベントの目的でした。私たちは子どもたちをサポートし、逆に素晴らしい体験をさせていただきました。

 準備はコンニャク芋を茹でるところから始まりました。茹で上がったら、皮をむきます。熱いうちに剥いてしまわないと、きれいに皮が剥けません。手で持てないほどの熱さですので、皮を剥く作業からして、苦戦をします。その後、子どもたちの体験が始まりました。皮を剥いたコンニャク芋を、行者湧水のお湯と合わせてミキサーにかけます。回していると、しだいに音が変わってきます。その変化で止める時間を計るのです。ミキサーにかけたコンニャク芋を器に出し、手で混ぜていきます。この作業が一番根気のいる作業となりました。参加した中学生の女の子も一生懸命混ぜました。大変そうでしたが、一人ではありません。疲れたら交代しますので、苦痛にはならず、作業を楽しんでくれました。次に凝固剤を混ぜ合わせます。すると、そのうちコンニャクの色が変わってきます。色の変化が面白いのか、子どもたちの目の色も変わります。色が変わったところを見逃した女の子がとても残念そうにしていたのが、少し可哀そうでした。コンニャクがほどほどに固まってきたら、型となるボールに入れます。表面の凹凸がなくなるように手で平らにします。時間が経てば、鏡餅のような丸い形に仕上がります。この過程が楽しく、子どもたちも大喜び。自分たちで作ったコンニャクの完成を心から楽しみにしている様子でした。それから先は煮立った湯に入れて茹であげます。しばらく待ち時間がありました。この時間に写真を撮ったり、コンニャクがどんな感じに完成するかを想像し合ったりと、会話がはずみます。いよいよ茹で上がると、少し切り分けて試食をさせていただきました。自分たちで頑張って作ったコンニャクであるし、行者湧水を使っていることもあって、これまで食べたどのコンニャクよりも美味しく感じました。子どもたちも「美味しい」と声をあげました。ボランティアで参加させていただいたのですが、コンニャク作りに参加していた子どもたちよりも楽しめました。このたびの体験イベントでは、行者湧水直売所から谷ノ上正子さんと森本セイ子さんが来られて指導に当たり、河内長野市教育委員会ふるさと文化課の島津知子さんと西村慈子さんが補助に当たって手際よく進めてくださいましたので、ミスすることなく、美味しいコンニャクを作ることができました。興味本位で参加したボランティア活動でしたが、子どもたちと触れ合え、心を一つにできるまたとない機会となりました。参加させていただいたことに、感謝しています。

楽しんでもらうことの楽しさを知りました
国際観光学部1回生 北林佳奈

 11月21日(木)から24日(日)にかけて、河内長野市で行われた「ぐるっとまちじゅう博物館2013」の「コンニャク作り」体験イベントにボランティアスタッフとして参加しました。スタッフと言っても、私たちもコンニャク作りは初めてですので、教える側にもなれず、また参加する側でもない中途半端な立場です。思ったよりも大変な活動となりました。何もわからない状態で子どもたちを指導することができるのかと、戸惑いながら準備に入りました。
 午前中に一通りの準備が終わり、子どもたちを出迎えるまでの空き時間に、私たちは会場となった「にぎわいプラ座」を出て、商店街を見て歩きました。すぐ前の通りの空きスペースに仮設の店が並んでいます。フリーマーケットの店やハンドメイドの雑貨屋などがあり、そこはとても賑わっています。店の人に話を聞くと、ここで出店している人は河内長野市だけでなく、大阪府内のいろんな地域に出向き、店を出しているとのことでした。話を聞くうちに、自宅の近所でも出店されていることがわかり、驚きました。私たちがエプロン姿のまま歩いていると、親近感を覚えて下さったのか、たくさんの人が話しかけてきます。様々な地元の話をしてくださり、とても温かい雰囲気を味わえました。
 さて、いよいよ子どもたちが集まってきました。見知らぬ学生たちを見て緊張をしていましたが、積極的に話しかけると、恥ずかしがっていた子どもたちも徐々に打ち解けて、あちらから話しかけてくれるようになりました。コンニャクが茹で上がるまでの待ち時間には一緒に遊び、いつの間にか、自分たちも我を忘れて楽しんでいました。とはいえ、遊ぶ時間はそう長くありません。食器洗いや片付けなど、やるべきことがたくさんあります。子どもが火に近づかないか、包丁などの危ないものを触らないか、と気を配らなければなりません。スタッフとしての任務を果たしながら、子どもたちと楽しむ。これがけっこう難しい駆け引きとなりました。

 コンニャクの作り方は行者湧水直売所の谷ノ上正子さんと、森本セイ子さんに教えていただきました。コンニャクを手で練って形を整えるのがとても難しく、ひび割れてしまうものもありますが、そんな状態からでも谷ノ上さんと森本さんの手にかかれば、たちまち美しく仕上がります。私たちも子どもたちも、その手さばきに目を見張りました。お二人は作業をしながら、行者湧水のことや、コンニャクの扱い方など、知らないことをたくさん教えて下さいました。このイベントに参加していなければ、一生知らないままであったと、不勉強を反省しながら、機会のありがたさを感じました。  最大の収穫は「楽しんでもらうことの難しさと楽しさ」を知ったことです。参加者に楽しんでもらうには何をすればよいのか、スムーズに作業を進めるには何を優先するべきかなど、多くのことを考えさせられる活動でした。

子どもたちの「おいしい」にウソはありません
国際観光学部1回生 手塚夏紀

 11月23日(土)に行われたコンニャク作り体験イベントのボランティアスタッフとして河内長野市へ行きました。市内の山間部でとれる湧水を使った美味しいコンニャクを子どもたちに作って味わってもらおうというイベントでした。コンニャク芋も冷凍ではなく、採れたての新鮮な芋です。
 午前中の準備は、その芋を茹でるところから始まりました。茹であがると、熱いうちに皮をむき、道具などを並べて準備は完了しました。昼から子どもたちを待ちます。早く来た子どもは「まだか、まだか」と心待ちにしています。参加者は子どもだけではなく、年配の方もいらっしゃいます。参加された理由をお尋ねしたところ、「コンニャク芋を買ったので自分の家で作れるようにしたいから」とのことでした。
 来村先生が子どもたちに向かって元気に挨拶をされ、コンニャク作りがスタートしました。そのあと班に分かれて作業開始です。ポットで沸かした湧水のお湯をミキサーに入れ、コンニャク芋を入れてスイッチを入れます。ミキサーで音が変わるくらいがちょうどいい感じだそうです。ドロドロになったコンニャク芋をボールに移し替え、しゃもじを持って、みんなで交替しながらかき混ぜます。私がサポートした班には幼稚園に通っている小さい子どももいましたが、可愛らしい手でしゃもじを持ち、一生懸命にかき混ぜていました。ほどよくコンニャクが冷めると、こんどは素手でかき混ぜます。素手を入れることに抵抗を感じる方もいましたが、最初のうちだけでした。次に凝固剤を入れます。これを入れないと、コンニャクが固まらないそうです。しかも、凝固剤を入れてからが勝負だということです。ここで私の出番となりました。疲れた皆さんに代わっての登場でしたが、始めると、すぐさま腕と腰が痛くなってきました。なんとかやり遂げてトレーにコンニャクを入れ、お茶碗でだいたい1人分を取り、餅を丸めるように手で丸め、お湯の煮立った大きな鍋に投入します。そして待つこと20分。この間にあくが抜けるそうですが、コンニャク芋は肌を刺激するのか、大人も学生も子どもも「かゆいかゆい」と言って、手を掻いていました。慣れないうちは大変です。

 煮あがるまでの待ち時間、使った道具の洗い物を手伝いました。なかなか粘り気が取れません。コンニャクはけっこう頑固です。洗い物を済ませ、調理の部屋に戻ると、男子学生たちが子どもたちと楽しそうに遊んでいました。最初は敬遠されていた男子も、今ではすっかり人気者です。20分がたち、いよいよ鍋からコンニャクを取り出します。コンニャクの匂いが湯気とともに立ち上がりました。さあ、コンニャクの試食です。味つけはポン酢だけですが、コンニャク独特の臭いがしません。「美味しい」「やっぱり出来立ては違うね」と感動しながら味わいました。子どもたちの「おいしい」という言葉にウソはありません。ともにモノを作り、ともに喜ぶことによって、年齢の壁を超えた交流ができました。

大きな収穫がありました
国際観光学部1回生 佐竹優也

 河内長野市が開催する「ぐるっとまちじゅう博物館2013」イベントに参加しました。「コンニャクを作ろう!」というタイトルがつけられた体験イベントです。会場は「にぎわいプラ座」という施設です。河内長野駅の駅前から続く商店街を歩き、3分ばかりで着きます。もとは何かの商店であったようですが、市民が活動できるスペースに様変わりしています。こういう調理体験のイベントに参加されるのは年輩の方が多いのではと、勝手に想像していましたが、実際に集まったのは、ほとんどが子どもで、むしろ年配の方は少しでした。あとでわかりましたが、河内長野市は教育立市をスローガンとして、子どもたちの地域教育に力を入れているそうです。子どもから大人まで、年齢に関係なく、楽しみながらモノを作ってゆくのは、意義のあることです。  私たちが会場に到着してすぐに、行者湧水直売所の谷ノ上正子さんと森本セイ子さんがコンニャク芋や道具をもって来られました。コンニャクを作って直売所で販売されているということです。本日の先生です。まず、参加者の皆さん方が来られるまでに、コンニャク芋の皮むきを始めました。普段は料理をしませんので、この皮むきですら難しい作業となりました。大変だなと思う反面、これまでに作ったことがないものを作る新鮮な体験に心が躍ります。参加者が来られてからは、コンニャク芋と行者湧水の湯をミキサーに入れて撹拌し、しばらく練ったのち、凝固剤を入れて素手でもむ作業へと進みます。所要時間は30分ばかりでしたが、コンニャク芋には肌を刺激する成分が入っているらしく、しばらく触っていると、たまらなく手が痒くなってきました。私たちの班にいた小学生の女の子は、何度も何度も繰り返し手を洗いに行きます。「こんどで8回手を洗ったよ」と、ため息をつきながらも、作業をやめようとしません。最後まで笑顔でコンニャク作りに没頭していました。ある程度固まってくると、手もみしながら形を整えます。それをトレーに置いて、等分に切り分け、手で丸めます。餅のようになったコンニャクを椀に入れ、1つずつ熱湯の中に丁寧に入れてゆきます。そうして、あくが抜けるのを待つのです。

 この時間に小学生との交流が深まりました。小学生の女の子たちは、最初こそ男子学生を避け、女子学生とばかり遊んでいましたが、そのうち関心が私たち男子学生に向いたようです。遊び始めると面白いのか、最後には遊び道具にされました。コンニャクが茹であがるまで、にぎやかに過ごしました。でき上がると、大学生も含め、待望の試食です。やっぱり自分たちで作ったものは最高です。コンニャクとは思えない格別の美味しさでした。活動を通じてコンニャクの作り方がおよそわかりました。しかしながら、収穫はそういうものではありません。さまざまな世代が同じ立場でモノ作りをすることの新鮮さが子どもたちを大きく育てることに気づきました。子どもたちと接することで、大人としての責任を自覚させられました。とても有意義な活動に参加できたことに、心から感謝しています。

やりがいを感じる子どもたちとの活動
国際観光学部1回生 吉本慎也

 河内長野市が主催する「ぐるっとまちじゅう博物館2013」イベントの一環として、「コンニャク作り」体験イベントが開催されました。河内長野市を流れる石見川の上流には「行者湧水」と呼ばれる美味しい清水が湧き出ている場所があり、人気を集めています。その直売所で湧水を使った手作りのコンニャクを販売されている谷ノ上正子さんと森本セイコさんを講師としてお招きし、市民にコンニャク作り体験してもおうという趣旨のイベントです。私たち1回生の5人は観光実習導入のクラスが同じで、授業の中でコンニャク作りに参加したいと希望したものです。その願いがかない、ボランティアスタッフとして参加させていただきました。

 とはいえ、私自身はコンニャクについて、あまりにも知識がありませんでした。コンニャクがコンニャク芋から作られることすら知らなかったのです。それくらいは知っているという仲間たちも、コンニャク芋を見て、調理するのは、もちろん初めての体験でしょう。それだけにワクワクします。
 参加者が来る前に下準備として、茹で上がったコンニャク芋の皮をむき、450gずつ4班に振り分ける作業をしました。計量は調理での大事な作業です。昼食をとったのち、コンニャクづくりの開始時間となり、参加者が集まってきました。ほとんどが子どもたちで、人数はそれほど多くありません。少し拍子抜けしましたが、あとで考えると、適正な人数であったように思えます。何十人も集まれば、きっとパニックになっていたことでしょう。振り分けておいたコンニャク芋を行者湧水のお湯と合わせてミキサーにかけます。各班にミキサーが用意されていましたので、この作業はスムーズに進みました。混ぜると、それを大きなボールに移し、こねます。この作業は思いのほか大変でした。子どもたちは「しんどい、しんどい」とボヤキながらも、楽しんでいます。交代をしながら、みんなで芋をこねていきます。ある程度固まったところで、凝固剤を加え、さらにこねます。途中からしゃもじが手にかわりました。谷ノ上さんや森本さんは「手で混ぜないと美味しく仕上がらない」と言います。子どもたちは「手がかゆい」と言って騒ぎます。私もそのうち手に痒みを感じ始めました。それでも挫けず、最後まで手でこねました。こねあがった芋は鏡餅のような形になりました。それをトレーに移し替えてすこし時間をおきます。そして固まったところで等分に切り分け、再びこねて餅のように丸めます。これを湯が煮立った大きな鍋にいれて茹でます。茹でること20分。この間に引率の来村先生まで混ざって子どもたちと大いに交流しました。私たち男子学生は遊びのコツを知っています。人気者になりすぎて困りました。参加した子どもたちにしてみれば、美味しいコンニャクを作って味わい、おまけに大学生のお兄ちゃんやお姉ちゃんと楽しく遊べたのですから、大満足であったことでしょう。こうした楽しい体験を通じて、郷土に美味しい食べ物があることを知ってくれたことでしょう。また子どもたちとの活動があれば、積極的に参加しよう。そう思いました。