ボリュームでは日本一の前方後円墳 国際観光学部2回生 北山亜純

 この日は風が強く、地図を広げて書き込む作業は一苦労でした。前回はまる1日を見学に当てましたので、時間的な余裕はありましたが、このたびは時間のうしろを切られているため、てきぱきと行動しなければなりませんでした。本来ならば、応神天皇陵のすぐ南に鎮座する誉田八幡宮を参拝する予定でしたが、時間的にそちらへ回るのが無理でした。結局、大鳥塚古墳から応神天皇陵の拝所へ歩いたのち、西へ進んで羽曳野市役所までの道のりにある古墳だけを見学することになりました。ということで、私の担当も応神天皇陵のみとなりました。
 応神天皇陵は、古市古墳群の中心となる古墳で、百舌鳥古墳群における仁徳天皇陵(大仙古墳)と肩を並べます。地図を見るだけでも、他の前方後円墳に比べて、ずば抜けて大きいことがわかります。墳丘の長さは422mで、仁徳天皇陵の486mに及びませんが、36mの高さは仁徳陵よりも3m上回り、体積を計算すると日本一だそうです。「どうして体積がわかるのか」と不思議に思って先生にお聞きすると、宮内庁が詳細な測量図を作っており、その図面をもとに土木工学の計算をすれば、比較的簡単に求められるようです。かつて百舌鳥古墳群を訪れ、仁徳陵を見て、その大きさに驚きましたが、左右に大きく広がって視界に収まりきれない応神天皇陵の森は仁徳陵に負けていません。

 前回に訪れた津堂城山古墳と同様、応神天皇陵にも内外二重の周濠があり、内濠と外濠の間に幅の広い内堤が巡らされています。地図を見ると、内堤の東側が内へ向けてへこんでいますが、これは先行して築かれた二ツ塚古墳という前方後円墳を避けるように造ったからだそうです。古墳の学術名は誉田御廟山古墳ですが、遅くとも平安時代には応神天皇陵として祀られており、もちろん現在は宮内庁によって管理されています。その範囲は森のベルトとなっている内堤までで、外濠は国の史跡となっています。
 応神天皇の拝所に向かうと、右手に立派な建物があり、標識に「宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所」と刻まれています。天皇陵にはどこでも小さな詰所がありますが、管理人は常駐していません。応神天皇陵の事務所は周辺の陵墓を管理する中心的な詰所であるそうです。調べてみると、宮内庁書陵部には多摩(東京)・桃山(京都)・月輪(京都)・畝傍(奈良)・古市(大阪)の監区事務所があり、全国に分布する陵墓はそれら5つの事務所が分担して管理しているそうです。ちなみに古市監区事務所は大阪府だけでなく、和歌山県や四国4県にある陵墓を管理しています。そのような中心的な事務所が仁徳天皇陵ではなく、応神天皇陵に置かれているのですから、この陵がいかに大切に扱われているかがわかります。
 応神天皇陵の拝所から外濠に開かれた住宅地を抜けて外環状線の広い道路に出ると、南側への視界がよくなり、内堤の森が長くのびてゆく景色が一望できます。そのあたりの窪地が外濠です。幸い、外濠の中を1本の農道が通っていますので、車道を通らずに進めます。農道の左右には様々な作物を植えた畑がありますが、花畑ではありません。津堂城山古墳では周濠に市民が花畑を作って来訪者の目を楽しませていましたが、そのような運動がここにでも始まることを願いながら東山古墳へ進みました。
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