国府台地に並ぶ大小の古墳 国際観光学部2回生 今福義明

今福義明さん

 藤井寺駅から古市方面へ向かう電車に乗ると、東へひと駅で土師ノ里駅に着きます。電車では2分ですが、距離は2キロもありますので、歩けば40分ばかりかかります。この間は広い谷地となって古墳もありませんので、電車で移動するのが賢明です。私の担当は土師ノ里駅から南西に向かうコースです。一辺50mの方墳である鍋塚古墳、応神天皇の皇后である仲津姫の陵に治定された巨大前方後円墳の仲津山古墳、国の史跡に指定された古室山古墳などを巡りました。

 最初の見学地である鍋塚古墳は土師ノ里の改札口のすぐ近くにあり、広い自動車道路の向こうにうずたかい墳丘が見えるので、すぐにわかります。大規模な前方後円墳に囲まれて、目立たない存在ですが、出土した埴輪が示す年代から400年前後に築造されたものと推定されています。すぐ近くにある仲津山古墳と時期が重なることから、その陪塚(ばいちょう/巨大古墳の周辺に併設された小規模古墳)である可能性も指摘されています。鍋塚古墳の墳丘に生えた50本ばかりの木はほとんどが落葉樹で、葉が落ちた木々が墳丘に林立する光景になつかしさを感じたのは私だけでしょうか。墳丘をよく見ると、斜面に平たい部分と角ばった部分があり、方墳であることがわかってきます。表面には小さな丸い川原石が無数に落ちています。先生の説明では、そういう石を葺石(ふきいし)と呼ぶそうで、築造工事の仕上げとして墳丘の表面に敷き詰められた石であるとのことです。近くを流れる石川から運ばれたのでしょう。墳丘から南西方向を眺めると、すぐ近くに大きな森が迫っています。仲津山古墳の後円部です。逆に北西方向を見ると、近鉄の線路を隔てたマンションの横に森の一角が見えます。これは允恭天皇陵に治定された市野山古墳です。2つの大型前方後円墳に挟まれた丘の上に、かつて「沢田の七ツ塚」と呼ばれたいくつかの小規模古墳がありましたが、宅地開発や道路建設によって鍋塚古墳以外の6基は消滅しました(土師ノ里駅北側の唐櫃山古墳は一部残存)。過去の都市開発では、そのような古墳が容赦なく破壊されていったのです。

仲津姫陵の水仙

 銅塚古墳の南側の道を西に入ると、まもなく仲津山古墳の周濠に突き当たります。周濠の窪地に囲まれた墳丘の森には見る者を圧倒する存在感があります。仲津山古墳は津堂城山古墳に続いて築かれた前方後円墳で、墳丘長290mの規模は古市古墳群では応神天皇陵に次いで2番目、全国でも9番目か10番目に数えられます。国府台地の最高所を占め、周辺を見下ろす立地からも、大王墓であることは違いないでしょう。宮内庁によって管理されて立入禁止となっていますが、外堤に立てられたフェンス越しに見ると、周濠の斜面の所どころに白い水仙が群生しています。墳丘を覆う森の深緑色や土手に生える草の浅緑色と合わさって、美しい花の景色を作っています。宮内庁の管理者が植えたものでしょうか。ありがたい演出です。

 前方後円墳のくびれ部は裾のラインが外にやや膨らんでいて、造り出しの存在がうかがわれます。その地点で北側を見ると、澤田八幡神社を包む背の高い林が見えます。仲津山古墳の北は丘陵の斜面となり、南にある神社の社殿から北の境内を見下ろす立地です。境内には大きなクスノキが力強く立っています。奇妙なのは、クスノキのすぐ北側に踏切があり、近鉄電車がしきりに通過することです。その向こうに鳥居が見えますので、南大阪線の線路が神社の参道を横切っていることがわかります。不思議な光景です。参拝後に再び外堤の道に戻り、前方部のコーナーが見えるところまで歩くと、澤田八幡神社と同じく、線路との間にもう一座の神社が鎮座します。古室八幡神社と呼ばれる、小ぢんまりとした神社です。線路の北側には東に澤田村、西に古室村が並び、それぞれの村が応神天皇を祀る誉田八幡宮から分霊を勧請して創建した村社であるようです。澤田八幡神社との違いは参道が西を向き、線路によって切られていないことです。

古室山古墳の埴輪片

 古室八幡神社の境内から南を眺めると、すぐ近くにもう一つの古墳が見えます。国の史跡に指定された古室山古墳です。古墳の周濠には空き地を囲むブロック塀だけが残り、中の建て物が撤去されています。通りかかった地元の人に聞くと、藤井寺市が古墳周辺の土地を買い上げて、公有地化を図っているとのことです。世界遺産への登録に向けた環境整備でしょうか。空き地を通って墳丘に登ると、後円部の南裾に紅梅と白梅が並んでいます。墳丘上の樹木はかなり間引かれていますので、周辺の風景が見渡せます。南方を見ると、西名阪自動車道の高架の上に大きな森が頭をのぞかせています。それが古市古墳群中最大の規模を誇る応神天皇陵(誉田御廟山古墳)です。風景を確かめてから足元を見ると、あちらこちらに円筒埴輪のかけらが散らばっています。そのうちのひとつを取り上げてみると、表面は肌色に近い色をしていて、断面は黒くなっています。比較的古い野焼きの埴輪であることがわかります。古室山古墳は仲津山古墳とほぼ同じ時期に築かれ、古市古墳群では比較的早い時期に築かれたものです。埴輪は津堂城山古墳のガイダンス棟「まほらしろやま」に実物が展示されていて、自由に触ることができますので、そういう所で手にとって感触を覚えておけば、古墳の墳丘で容易に探すことができるでしょう。ただし、文化財保護の精神から、取り上げた埴輪は元の場所に戻しておくのがマナーです。
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