ジャムと集団知性

十数年前に、IBMが、「ジャム(Jam)」と名付けたオン・ライン討論会を開催し、全世界の人々の知恵を集めたことで話題になったことがあります。2003年に行われた「バリュー・ジャム(Value Jam)」では、100年ぶりにIBMの核心価値(コア・バリュー)を職員たちが直接再定義できる機会が与えられ、2006年の「イノベーション・ジャム」では、104ヶ国から67個の企業、15万人以上が参加し、議論を交わしたと知られています。ここで言う「ジャム」形式とは、ジャズの「ジャム・セッション」から借りてきた概念であると考えられます。IBMがこのオン・ライン・ジャムを活用して企業内外のフレッシュなアイデアを集めて進化させたことと同じく、ジャズ音楽も、オフ・ラインではありますが、戦前からジャム・セッションを通じて新しいスタイルの音楽を作り出しました。

ビバップの誕生と「個人」の認識

ジャズ音楽の革命とも言われているビバップは、ニューヨークのハーレムに位置する幾つかのジャズ・クラブを中心に発達しましたが、他の地域のミュージシャンたちにも共通の状況と認識があったと知られています。1939年、ドイツのポーランド侵攻により第2次世界大戦が始まり、1941年には米国の真珠湾が日本により爆撃されました。もうダンス音楽を楽しんでいるところではない状況のなかで、ジャズは大衆の好みに合わせるダンス音楽から脱皮し、感想のための音楽、芸術的価値のある音楽に進化したわけです。結果的には、聴衆が楽しむ音楽、踊るための音楽、ビック・バンドの音楽から、小規模のジャズ・バンド(コンボ)の、ミュージシャン個々人が主体になる音楽に変わったと知られています。しかし、個人が主体になるということは、そんなに簡単な話ではありません。日本でさえ個人という言葉(Individual)やコンセプトが入ったのは、明治維新の時期です。人類歴史上初めて個人に注目するようになったのは、バイブルの解釈を教会に頼らず、個々人にその権利があるとしたマーティン・ルーターの宗教改革(1517年)からだと言われています。
それでは、経営の現場で個人が重視され始めたのは何時からでしょうか。まずは、ホーソン工場実験で有名な人間関係論的アプローチが考えられますが、それは、あくまでも従業員という集団に対する新しい見方を浮上させたとみた方がいいような気がします。ベルトコンベヤーシステムによる大量生産体制をベースにした20世紀の産業パラダイムの下で、個人の存在はほぼ無視されたとみていいでしょう。20世紀の後半になってからやっと「真実の瞬間」などの事例を通じて、顧客との接点にある職員個々人の判断が重要であることが改めて認識されました。その後、21世紀に入ってからITの進化とそれに伴う創造経済、創造経営などの議論が盛んになり、企業も真の意味での個人の潜在力に注目するようになったのではないでしょうか。

創造性の競演場、ジャム・セッション

ジャム・セッションは、元々キャンザス・シティで旺盛に行われた演奏スタイルだと言われています。ダンス音楽が主流であった当時、ビック・バンドの様々な演奏規約に縛られ、思うままの演奏ができないことに不満を持っていたミュージシャンたちが、仕事が終わった後に、その欲求不満を解消するため、ある場所に集まって自由な演奏を交換するようになりました。これを「ジャム」と言いますが、「アフターアワー・セッション」とも知られています。カウント・ベイシー楽団が固定出演していたキャンザス・シティの有名ジャズ・クラブのジャム・セッションは未明5時から始まりました。このようなジャム・セッションには、ベテランたちはもちろん若い演奏者たちが沢山参加するようになり、登竜門としての役割も果たしました。ジャム・セッションには決まったプログラムはなかったし、誰でも他の人の演奏をつないで演奏を始めることが出来ました。ここで重視されたのはアドリブ、つまり、インプロビゼーションのことで、参加者たちは自分の演奏者としての力量を思う存分披露することができたわけです。キャンザス・シティがこのようなジャム・セッションの聖地になったのは、1920年に実施された禁酒法の影響が大きかったと言われています。取り締まりを避けて密酒の供給ルートを掌握したギャングの顔であった人物が選挙で勝利し、約13年間にわたって市政を担当することになったため、キャンザス・シティでは飲酒歌舞を楽しむことができたからです。
1939年、19歳のチャリー・パーカーがニューヨークに向かった時に、ニューヨークのハーレムにはミントンズプレイハウスというクラブがオープンされました。その店ではお客さんの誘因対策として、ハウスバンドが演奏するときに誰でも自由に演奏に参加できるというジャム・セッション方式を導入しました。それが大当たりになり、スウィング・ミュージックに飽きていたミュージシャンとファンたちが沢山集まるようになったわけです。当時、ミントンズプレイハウスのハウスバンドのドラマーはモダン・ドラミングの改革者として知られたケニー・クラックで、ピアニストはセロニアス・モンクでした。このバンドに対抗して常連のようにそのジャム・セッションに参加したミュージシャンが、後ほどビバップの創始者として称されたチャリー・パーカーとディジ・ギレスピーでした。
ジャズ・ミュージシャンたちは、ジャム・セッションを通じて、共演する相手の指の使い方、呼吸法、音色、リズムの取り方など、彼らの音楽の全てを一緒に研究し、互いの技術を模倣しました。しかし、誰でもどんなセッションにも参加できるということは事実ではなかったようです。自分の演奏能力に合わないセッションに参加したら笑われてしまうからです。チャリー・パーカーでさえ若い時に参加したジャムでリズムを逃し、ドラマーからシンバルを投げられ、ステージから追い出されたというエピソードもあります。

経営における創造的ジャムの条件

➀組織スラックの維持

ジャム・セッションは、ミュージシャンたちが自発的に集まって形成されたものですが、長く続いたのはそれなりの理由がありました。まず、挙げられるのは、ジャムが基本的にアフターアワー・セッションだったということです。これは、ある種の創造的な成果は、必ずしも組織内の決まった枠組みのなかで与えられた仕事をしながら出てくるものではなく、番外に、自分の時間と情熱を投入する人たちによって作られるという話に繋がります。
では、組織より自分のことを大事に考える人が増えていると言われている現代の会社員にアフターアワー・セッションを期待できるのでしょうか。共同運命体ではなく契約関係に過ぎないことを強く意識している組織構成員たちに、自発的なサービス残業、または、プロジェクトXの世界のような情熱に溢れる献身を求めることはもう無理かもしれません。ここで注目されるのが「組織スラック(Organizational Slack)」というコンセプトです。組織における余剰資源を意味する言葉ですが、参考になる代表的な事例としては、3Mの15%ルールやグーグルの20%ルールがあります。所定内労働時間の一定の部分を決まった仕事ではなく個人の関心事に使ってもいいようにしておくことですが、これは、ある意味で、アフターアワー・セッションをインアワー・セッションに受容したことと同じであるような気がします。

➁専門家集団による集団知性の発揮

次に指摘したいのは、「類は友を呼ぶ」ということです。ジャム・セッションというフィールドが用意されたからといって、実力者が好んで参加しないと意味がないです。囲碁などで高段者のみ高段者を知るという話もあるように、お互いに認め合う人たちが一緒に集まることが大事です。いわゆる集団知性の話に似ていますが、不特定多数の参加という多様性と、必要な専門性の調和を如何にして引き出すかが成功の鍵になります。組織構成員の間で如何にして競争と協力の関係を築くことができるのかという課題もあります。
MITのアレックス・ペントランド(2014)は、人々のバイオデータ収集が可能なITバッチ(ソシオメトリック・バッチと言います)をつかった集団知性に関する驚くべき研究結果を紹介しました。一般的に言われている集団の団結力やモチベーション、満足度などは、集団のパフォーマンスとあまり関係がないということです。最も重要な要素は、参加者が平等に発言しているかどうか、グループの構成員たちが相手の社会的シグナルをどの程度読み取れるかで、実験の結果、最大のパフォーマンスを発揮するグループには、一般的に次のような特徴がみられると言います。
(1) アイデアの数の多さ。数個の大きなアイデアがあるというのではなく、無数の簡単なアイデアが、多くの人々から寄せられるという傾向が見られた。
(2) 交流の密度の濃さ。発言と、それに対する非常に短い相づち(いいね、その通り、何?のような、1秒以下のコメント)のサイクルが継続的に行われ、アイデアの肯定や否定、コンセンサスの形成が行われている。
(3) アイデアの多様性。グループ内の全員が、数々のアイデアに寄与し、それに対する反応を表明しており、それぞれの頻度が同じ程度になっている。
つまり、組織構成員たちの日常的な交流のパターンによって組織生産性が変わるという話ですが、これをわかりやすく示したのが次の図の「非生産的な交流のパターン(a)と、望ましい交流のパターン(b)」です。
  • 出所:アレックス・ペントランド(2014)『ソーシャル物理学』

➂サポート体制の確立

もう一つ重要なのはスポンサーの存在です。ジャム・セッションの慣行は、クラブの経営者でもあったギャングたちに多くの支持を受けました。ジャム・セッションが通常の営業時間以外にも音楽を楽しむ人たちを引き寄せる有力な手段であるという現実的な理由もありましたが、その中にはジャズ音楽が本当に好きで、ジャズ・ミュージシャンを愛するギャングも存在したと知られています。ジャズ・ミュージシャンに寛大なこの人たちによってジャム・セッションのための場所やインフラが提供されたと考えられます。そして、ジャム・セッションが行われる場所には「キティ」という箱が置かれていました。それは、金属の容器に紙を付けてそこに猫や虎、妖怪などを描いたもので、一種の献金箱でした。そこに集まったお金はその日のジャムに参加したミュージシャンに分配されたと言われています。専門家たちが持続的に自分の創造性を競い合えるジャム・セッションみたいなフィールドを維持、発展させるためには、経営陣のサポート、他の構成員の支持も必要だということです。