「期末試験は簡単にして欲しい」に対するゲーム理論的回答

 大学では、学生の皆さんが自分の受ける授業を自分で選べます。そこで、我々教員は、授業の内容や成績のつけ方などを説明した「シラバス」というものを作成します。今回は、こんなシラバスと授業の運営を例に、ゲーム理論で考える方法の例を説明しようと思います。
 
 ゲーム理論で考えるときにまず決める必要があるのは、誰の行動を分析の対象とするかです。人数は少ない方が分析は単純ですので、ここでは教員と学生の2人が対戦するとしましょう。
 教員が授業にあたって選択することはたくさんありますが、あまり細かく分けるのはやはり分析が大変になるので、これもめいっぱい単純化して「重要なことをたくさん教える」か「基本的な内容がしっかりわかるまで時間をかけて教える」かにしましょう。(限られた時間で「基本もしっかり教えつつ、たくさんのことを教える」ことはできません。「基本もまあまあしっかり教えつつ、まあまあたくさんのことを教える」という選択はあり得ますが、今は2択にしたいので考えないことにします。)以下では、前者の選択を「充実した授業」、後者を「やさしい授業」と略して呼ぶことにします。
 他方、学生の方でも授業にあたって選択することはたくさんありますが、やはり2択で考えましょう。ここでは「たくさん勉強する」か「それほど勉強しない」かを選択するとします。

 教員と学生のそれぞれが2種類の選択肢から選ぶので、結果には4種類あります(表1を参照)。では、教員にとってもっとも望ましい結果はどれでしょうか。それはやはり「充実した授業」で学生が「たくさん勉強する」場合でしょう。この場合に教員が得る満足度を、他と比べやすくするために数値で100としましょう。では、逆に、もっとも望ましくない結果はどれでしょうか。それは「充実した授業」をしたのに学生が「それほど勉強しない」場合でしょう。不合格者がたくさん出るのは、教員にとっても悲しいことです。この場合に教員が得る満足度を-100としましょう。これら以外にあり得るのは「やさしい授業をする」ときに「たくさん勉強する」場合と「それほど勉強しない」場合ですが、言うまでもなく前者の方が望ましいので、前者の満足度を80、後者を20としておきます。表1の青色の数値はこれらの教員の満足度を表したものです。
 一方、学生にとってもっとも望ましい結果はどれでしょうか。充実した内容の「充実した授業」で「たくさん勉強する」場合にもっとも満足度が高い学生がいることはもちろん否定しないのですが、多くの(特に試験直前の)学生の皆さんは「やさしい授業」で「それほど勉強しない」場合にもっとも満足度が高まるようです。私も学生の頃はそうでしたし。そこで、この場合の学生の満足度を100としましょう。これに対し、もっとも望ましくない結果は、教員と同じで「充実した授業」で「それほど勉強しない」場合です。不合格者がたくさん出るのはお互いに悲しいことです。この場合に学生が得る満足度を-100としましょう。これら以外にあり得る結果は「たくさん勉強する」ときに「充実した授業」の場合と「やさしい授業」の場合ですが、ここでは前者の満足度を80、後者を60としておきます。(もちろん、「やさしい授業」の方が満足度が高い可能性も十分にあると思いますが、そのように数値を入れ換えても以下の議論はほぼ同じ結果になります。)表1の緑色の数値はこれらの学生の満足度を表したものです。
 さて、表1から前回のようにナッシュ均衡を求めると、「充実した授業」で「たくさん勉強する」結果と「やさしい授業」で「それほど勉強しない」結果が予想されることがわかります。ですが、今回は意思決定の順番を考えることで少し異なったことを考えましょう。
 
 最初に書いたように、通常、大学の授業では事前に内容や成績のつけ方を決めてシラバスとして公開し、それに基づいて授業を進めます。これは、教員が「充実した授業」をするか「やさしい授業」をするかを先に決定し、その選択を見た後で学生が「たくさん勉強する」か「それほど勉強しない」かを選択する、と言えます。ですが、これとは異なる授業の運営の仕方として、教員は学生がどれだけ勉強するかの様子を見て「充実した授業」をするか「やさしい授業」をするかを選択する、という方法もあり得るでしょう。では、どちらを選ぶかによってどのような違いが生じるのでしょうか。

 教員が先に決定するとするとき、状況は図1のように表すことができます。青と緑の丸は「教員」と「学生」それぞれの意思決定による分岐点であり、線で書かれているのはそれぞれの選択肢、最後にカッコで書かれているのが教員と学生が最終的に得る満足度です(ゲーム理論ではこれを「利得(りとく)」と呼びます)。
 このような状況で、それぞれはどのような選択をすると考えられるでしょうか。教員がどちらを選んでも後の学生の選択次第で結果は変わりますから、教員がどちらを選ぶかを考えるのは少し難しいです。そこで、実際に選択する順番とは逆に、学生がどちらを選ぶかを先に考えましょう。教員が「充実した授業」を選ぶとき、学生は「それほど勉強しない」と-100の利得になってしまうので、「たくさん勉強する」ことで80の利得を得る方を選ぶでしょう。他方、教員が「やさしい授業」を選ぶときには、学生は「たくさん勉強する」ことで60の利得を得るよりも「それほど勉強しない」ことで100の利得を得る方を選ぶでしょう。そして、学生がこのように選ぶことがわかっていれば、教員は、「やさしい授業」をして(このときには学生が「それほど勉強しない」ので)20の利得を得るのではなく、「充実した授業」をして(このときには学生が「たくさん勉強する」ので)100の利得を得ることを選ぶでしょう。結局、教員が先に決定するときには、つまり、シラバス通りの授業をするときには、教員は「充実した授業」をし学生は「たくさん勉強する」と考えられます。

 では、もし、逆に、教員が後から授業内容を決定するとどうなるのでしょうか、こちらの状況は図2のように表すことができます。これも同じように後から決定する教員の選択から考えましょう。学生が「それほど勉強しない」ときには、教員が「充実した授業」をすると-100の利得になってしまうので、「やさしい授業」をすることで20の利得を得る方を選ぶでしょう。他方、学生が「たくさん勉強する」ときには、教員は「やさしい授業」をすることで90の利得を得るよりも「充実した授業」をすることで100の利得を得る方を選ぶでしょう。そして、教員がこのように選ぶことがわかっていれば、学生は、「たくさん勉強する」ことで80の利得を得るのではなく、「それほど勉強しない」ことで100の利得を得ることを選ぶでしょう。結局、教員が後から決定するときには、つまり、学生がどれだけ勉強するかの様子を見てどのような授業をするか決めるときには、教員は「やさしい授業」をし、学生は「それほど勉強しない」結果になると考えられます。
 
 以上の2つの結果を比べると、充実した授業を行って学生の皆さんにたくさん勉強してもらうためにはシラバスで予告した通りの授業をしなければならないことがわかります。特に試験前になると(学生だけでなく)教員である私も授業や試験の難易度を下げてしまいたくなるのですが、なかなかそうできない理由がここにあります。