経済学部 経済学科
大学院 企業情報研究科

青木 郁夫
(アオキ イクオ)

[職名] 教授
[出身地] 遠州見附、ジュビロ磐田の磐田
[出身校]
京都大学大学院経済学研究科博士課程
[担当科目]
社会政策a/b、社会政策特論(大学院)
[研究テーマ]
医療の社会経済学的研究
[主要業績]

※その他の研究業績については、下記「researchmap」(国立研究開発法人科学技術振興機構)で公開している研究ページをご覧ください。

ReaD & Researchmap

自己紹介

職名:教授
出身地:静岡県磐田市。サッカーJリーグ、ジュビロ磐田の磐田。かつての地名でいえば、遠江見付。東海道五十三次の宿場街で、京と江戸のほぼ中間にあたる。謡曲「舞車」の舞台。
出身校:中学校は磐田市立城山中学校。城が築かれたことはないが、徳川家康が築城しようとして堀を開削しかけたことがあったことに由来する。卓球の水谷隼、女優の長澤まさみが後輩だと同級生が噂していた。
 高校は静岡県立磐田南高校。旧制見付中学。戦前は水泳でオリンピックに牧野、杉浦、寺田の3選手が出場。メダルを獲得している。戦後は陸上が強く、インターハイ総合優勝が数回あり、その最後は1972年だが、現在に至るまでのインターハイでの獲得得点合計でいまでもベストテンにはいる。世界選手権、アジア大会に出場した先輩、後輩も。高校時代は競走部(陸上部)にはいっていた。競走部なんていいかたをするのは、早稲田大学の影響。陸上世界選手権などでキャスターをしている山縣苑子は中学・高校の後輩のようだ。
 大学は大阪市立大学経済学部。6年間「学んだ」。大学院は京都大学大学院経済学研究科。
 担当科目:社会政策

メッセージ

-納得のいく人生を楽しむ-

 若い諸君にはまだそういう機会はないだろうが、人生のある時期に、ふと過去を振り返ったり、今後の生き方を考えたりすることがある。人生80年、90年時代にすでに折り返し時点を過ぎ、夢のごとき「下天の内をくらぶる」「人間50年」の時期に、とくに強く感じたことは、自らの人生を生きること、納得のいく人生を楽しむことであった。
 中村真一郎の「四季」四部作と読んでみて、一層その感を強くした。私は、けっして、享楽主義者ではないのだが。図書館のHPから「おすすめの一冊」の2009年分を御覧いただけると、その一端を知っていただけると思う。
 しかし、そんなことが「人生を楽しむ」ことになっているのかどうかはわからない。きっと、いつまでも分かることはないのだろう。ただただ、ひたすらに生きていくことしかないのかもしれない。しなやかに、したたかに生きていきたいとは思う。そして、高杉晋作がいうように「おもしろきなき世を おもしろく」。

-散文精神ということ-

 漱石が『草枕』の冒頭に書いたように「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、義理を通せば窮屈だ。とかくこの世はすみにくい」。確かに世間とはそんなものかもしれない。しかし、漱石が利己主義ではなく、自分本位主義としての「個人主義」を説いたように、自我の確立と社会においてそれを貫くことも大切なことだろう。東京電力の福島第一原発の事故についてのテレビ報道をみていると、東電による説明はもちろんのこと、専門家として解説をしている「研究者」たちに怒りにも似たいらだちを覚える。かれらとは異なる考え方をもつ者も、こうした状況にしていることに対して「研究者としての社会的責任」を感じていることと思う。わたしもそうだ。
 体制が、そして大勢が自らの思いとは異なる状況であっても、広津和郎がいう「どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通していく精神」、「現実をありのままに見ながら、しかもそれと同時に無闇に絶望したり自棄になったり、みだりに音をあげたりしない精神」、「よくも悪くも結論を急がず、じっと忍耐しながら対象を分析していく現実探求精神」である「散文精神」を持ち続けていきたい。これは権力にも金力にもおもねならい漱石の「自分本位主義」に通じるであろう。

ゼミ紹介

-現代福祉国家について考える-

 経済活動のグローバル化が資本主義的市場経済のもとですすむなかで、競争条件が強まり、優勝劣敗の世界がひろがり、人々の生活基盤をおびやかしている。国家の諸政策も「コスト」を削減する方向での競争にまきこまれ、社会保障や社会福祉制度が体系化された「福祉国家」もまた再編、場合によっては解体の危機に直面している。このこともまた人々の生活を不安定なものにしている。さらに、家族形態の変化、少子高齢化、人口減少という社会の構造変化もまた将来の生活のあり方を不透明なものにしている。
 そのような現代的条件のなかで、人々の平和的生存権を保障し、幸福を追求する権利を尊重する社会をどのように展望できるのだろうか? こんなことを「協同民主主義」と「新しい福祉国家」という枠組みで考えてみたい。

研究活動

-医療の社会経済学的研究-

 人々が生活をし、人生をおくるうえで、どんなことを求めているかについて、「国民選好度調査」はいつでも「健康」が最上位にあることを示している。
 人々の「平和的生存権」の基礎的な条件が健康であることも確かなことであろう。健康を「人間的諸能力の発達可能な状態」と規定すれば、人々の生存・労働・生活・発達諸条件に影響されていることは明らかである。
 「健康」であることを人々が望んでいるとしても、「健康」をとおして人々を支配することもありうることである。あのナチスは「健康帝国」であったし、戦前のわが国の「高度攻防国家」のもとでも「保健国策」=「健兵健民政策」によって「体力管理」がおこなわれ、「健康」をとおした国民支配がされていた。そのことを逃れるためには、人々の自律性=自己決定権が確保されていることが必要である。
 人々が健康に生き、幸福を追求できるためには、どのようなことが必要なのであろうか? 健康権を保障する新たな福祉国家を展望しながら、こんなことを考えるのが医療の社会経済学的研究の課題である。

近年書いたものには、

イギリスにおける社会階層による健康格差・不平等を是正する取り組みを検討した「イングランドにおける健康の不平等に関する取り組み」『日本医療経済学会会報』第25巻第2号(2006年9月)。
戦前日本では、人々が生活を協同化して医療を確保し、自らの健康を維持・増進するための協同組合=医療利用組合が広範に組織されていた。この医療利用組合は国民健康保険の形成およびその実施に深く関係していた。このことを検討した歴史研究である「医療利用組合と国民健康保険:再考」『日本医療経済学会会報』第29巻第1号(2010年5月)、第2号(6月)。